【第3回】ナチスドイツの総統、アドルフ・ヒトラーゆかりの地を巡る|トピックスファロー

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2014年11月20日
【第3回】ナチスドイツの総統、アドルフ・ヒトラーゆかりの地を巡る

ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡 シリーズNO3
ヒトラーゆかりの場所が、ロマンチック街道、ゲーテ街道など、日本人旅行者に人気のヨーロッパ各地の観光地にも残っています。ここではヒトラーの痕跡を紹介したいと思います。

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ロマンチック街道、ゲーテ街道など、日本人旅行者にも人気の地にあるヒトラーゆかりの場所

20世紀史上、最大の犯罪者と言われているナチスドイツの総統、アドルフ・ヒトラー。
しかし、ヒトラーの私生活は質素で、自然を愛していたとも言われています。
そんなヒトラーゆかりの場所が、ロマンチック街道、ゲーテ街道など、日本人旅行者に人気のヨーロッパ各地の観光地にも残っています。ここではヒトラーの痕跡を紹介したいと思います。

ホーフブロイハウス ~ヒトラーが無名時代に演説していたビアホール

ホーフブロイハウス ドイツでビールが一番美味しいと言われているバイエルン州の州都、ミュンヘン。
ミュンヘンは、ナチスが発足した街でもあるため、ナチス時代に関する遺構も数多く残っています。
たとえば、ヒトラーは市内のいくつかのビアホールで演説していましたが、唯一その姿を残しているビアホールに「ホーフブロイハウス」があります。
このホーフブロイハウスは、ミュンヘンの中心部にある有名なビアホールです。無名時代のヒトラーは、ここで何度も演説して、多くの聴衆を惹き付けて、ナチスの勢力を大きくしていきました。
大抵のガイドブックには掲載されていて、いつもたくさんの観光客で賑わっています。
1階がビアホールになっていて、3階のイベントホールがヒトラーが演説していた場所です。イベントホールは団体客専用なので、1階のビアホールで飲む前に3階に上がってちょっと覗いてみましょう。

ケールシュタインハウス ~ヒトラーがお気に入りだった山荘~

ケールシュタインハウス ミュンヘンから南東に高級保養地でもあるベルヒデスガーデンという街があります。
ミュンヘンから列車で2時間半ほど。ドイツとの国境の街、「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台で有名なオーストリアのザルツブルグからはバスで1時間ほどです。
このベルヒデスガーデンの郊外の山岳地帯には、ヒトラーが愛用していた山荘があり5-9月の夏季シーズンのみ一般公開されています。
ヒトラーは雄大な自然が展望できるこの地を大変気に入っていたと伝わっています。
今も残るヒトラーが過ごした山荘でのカラー映像には、あの独裁者と言われたヒトラーが愛人エヴァ・ブラウンの前でアヒルの物まねをしておどけているシーンが映っています。同様に山荘や近くの博物館で見られるヒトラーの写真は、リラックスした表情のものが多いです。
ヒトラーは政権を取ってから、戦争中も含めて定期的に、ベルヒデスガーデンに篭って国策を練っていました。
敗戦直前、ヒトラーは側近から首都のベルリンを脱出し、ベルヒデスガーデンの山岳地帯に立て篭もって、最後の抵抗を試みることを提案されます。
しかし、「この地に戦争は持ち込みたくない」と、ヒトラーはその提案を拒否したと言われています。

ランツベルグ刑務所 ~ヒトラーが投獄されていた刑務所~

ランツベルグ刑務所 ミュンヘンの南西に位置するランツベルグは、日本人観光客に人気のロマンチック街道の街の一つです。
そんな街に若かりし頃のヒトラーが投獄されていたランツベルグ刑務所があります。
この刑務所は、今でも現役の刑務所として使用されています。
政権を掌握しようと試みた1923年のミュンヘン一揆に失敗したヒトラーは、ランツベルグの刑務所に収容されます。
しかし、大衆からの支持も多かったヒトラーは、収監中も比較的自由な生活を送っており、その間にナチスのバイブルと呼ばれ、世界中で大ベストセラーとなる『我が闘争』を口述で執筆します。
『我が闘争』はヒトラーの政治理念が書かれていて、ヒトラーが政権を取ってからは、ドイツの各家庭に1冊置くことが義務付けされました。ランツベルグ刑務所はガイドブックや観光案内には載っていません。なので、行き方を紹介します。
止り式のランツベルグ駅を出て右手に曲がり、踏切を渡った最初の道を曲がります。その道をひたすら歩いて、数分ほど行くと道が2つに別れます。
右手の坂道を少し登ると自動車が通る道にぶつかり、その反対側斜線に刑務所が見えてきます。周辺は住宅街でとても静かなところです。

ホテルエレファント ~ワイマールのヒトラーの定宿~

ホテルエレファント ゲーテ街道の中の一つの街、ワイマールは、文豪ゲーテやシラーにゆかりのものが多く、 ドイツの精神文化の中心の街です。
そして、ヒトラーもワイマールを「ナチス文化の街」として作り上げる計画を持っていました。
ヒトラーがワイマールを訪れる度に、定宿としていたのが、ワイマールの中心マルクト広場に面して、今でも営業している「ホテルエレファント」です。ガイドブックには街を代表するホテルと記載されています。しかし、高級ホテルというよりは、ごじんまりとした感じの庶民的なホテルです。
ヒトラーはこのホテルのバルコニーに立ち、集まった聴衆に応えていました。
写真を見てもわかるように、バルコニーといっても、広場から手の届く範囲にヒトラーがいたことがわかります。独裁者といわれるヒトラーですが、市民との距離を近くにとり、群衆の中をオープンカーで入って行って、おしゃべりすることもあったようです。
また、ヒトラーは国民の健康にも気を使っていました。当時、ホテルの館内では禁煙で、館内の至るところにカードが置かれており、下記のメッセージが書かれていました。

「ヒトラー総統の命でホテルは営業しており、
 喫煙はやがて母となる女性に大きな害を及ぼすので
 女性は勿論、男性にも協力をお願いする。」

ホテルのロビーに入ると当時のことが英語とドイツ語で書かれた説明文の展示があります。

ヒトラーがいた時代のドイツに出会う旅

ドイツを代表する街、ミュンヘン、高級保養地、ロマンチック街道、ゲーテ街道などのドイツの観光ルートなど、ドイツを訪れる旅行者が誰でも行くような場所に、ヒトラーの痕跡が残っています。
ホーフブロイハウスやケールシュタインのようにガイドブックに紹介されているところもあれば、ランツベルグ刑務所、ホテルエレファントのように知っていなきゃ見過ごしてしまうところもあります。
しかし、自然を愛していたり、国民の健康を気にしていたり、独裁者ヒトラーの、人間的な一面も見えたります。ぜひこの記事も参考にして旅行中にヒトラーがいた時代のドイツに触れてみるのもいかがでしょうか。

【連載ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡

著者:ヒロマル

戦争遺跡ライター
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1979年神奈川県生まれ、神奈川県逗葉高校、代々木ゼミナールで1浪、立教大学経済学部卒業。

大学在学中からヨーロッパ、アジアなどを海外放浪してハマってしまい、そのまま新卒で就職せずフリーターをしながら続ける。その後、会社員生活をしながらも休み、転職の合間を利用して海外放浪を続ける。50ヶ国以上訪問。会社の休暇を利用して年に数回、渡欧して取材。

2012年からライター業を会社員との二足のわらじで開始。
2014年からwebメディア(株)フォークラスのTOPICS FAROで2つのシリーズを連載中。

▼「ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/warruins
ヨーロッパ各地を取材し、第二次世界大戦に関する場所を紹介。
軍事用語などは極力省き、中学レベルの社会の知識があれば楽しめる記事にしています。
同シリーズが2017年に書籍化。
「ヒトラー 野望の地図帳」(電波社)から全国書店の世界史コーナーで発売中。

▼「受験に勝つ!世界史の勉強法」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/wh
2018年から主に世界史を中心とした文系の勉強方法について執筆。
大学受験だけでなく、大学生や社会人の大人の教養としての世界史の勉強方法にも触れて、
高校生、大学生、社会人とあらゆる世代を対象としています。

世間の文系離れを阻止して、文系の学問の復権に貢献することが、2つの連載の目的です。

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