【第92回】ヒトラーとゲッベルスの対決!バンベルク会議|トピックスファロー

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2022年11月25日
【第92回】ヒトラーとゲッベルスの対決!バンベルク会議

ヒトラーの忠実な部下だったナチスNo.2のゲッベルス。しかし、ゲッベルスは最初からヒトラーに傾倒したわけではありませんでした。ナチスが勢力を拡大していた1920年代半ば、バンベルクという小さな街で2人は対峙します。

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バンベルク会議とは?

ヒトラーの片腕、ナチスのNO.2、そしてプロパガンダの天才と言われた宣伝相のヨゼフ・ゲッベルス。彼はヒトラーに最期まで忠実に尽くして、ヒトラーが自殺した後、夫婦で後追い自殺を遂げました。

そんなゲッベルスですが、ナチスに入党した当初はヒトラーに疑念を抱き、ヒトラーと直接対決をしたことがありました。その場所がバイエルン州の小さな古都、バンベルクでした。

ハンブルクのシンボル、市庁舎ハンブルクのシンボル、市庁舎

最初はヒトラーに懐疑的だったゲッベルス

1924年にミュンヘン一揆で投獄されたものの、同年の暮れ、わずか1年足らずで出所を果たしたヒトラー。年が明けると勢力的に活動を再開しますが、1925年2月下旬、ミュンヘンでの復帰演説の発言が過激だったため、バイエルン州から公での演説禁止令を言い渡されます。ヒトラーは再び表立った活動はできなくなったのでした。

ドイツ国内ではアメリカからの資金援助が功を奏し始めてインフレが収まりつつあり、国際関係でも国境と安全保障に関するロカルノ条約を締結して、安定期に向っていました。世間からナチスは忘れ去りつつありました。

自身の最大の武器である演説を奪い取られてしまったヒトラーは、投獄中から執筆し始めた、著書「我が闘争」の続編をこの期間を利用して執筆し始めます。そして、この時期、手に入れたお気に入りのベルヒデスガーデンの山荘で過ごすことが多くなりました。

ドイツの書店で販売されている「我が闘争」。近年、発禁が解禁になったドイツの書店で販売されている「我が闘争」。近年、発禁が解禁になった

ドイツは安定期、ナチスの活動は下火に思われていましたが、北ドイツのナチス党内では、ヒトラーが投獄している間、グレゴール・シュトラッサーという実力者が勢力を拡大していました。

シュトラッサーはナチス党員でも、社会主義的な思想を持ち、ナチスの党要綱を大企業と土地の国有化などを盛り込み、修正しようとしていました。そのシュトラッサーの秘書が同じ思想の持ち主だったゲッベルスだったのです。

ヒトラーのイデオロギーで社会主義的要素は一切ありませんので、当然、そのような思想は許せるものではありません。1926年2月14日、ヒトラーは彼らをバンベルクに召集します。これがヒトラーとゲッベルスが対決することとなったバンベルク会議です。

ゲッベルス。wikipediaより転載ゲッベルス。wikipediaより転載

バンベルク会議が行われた日、ヒトラーが演説した場所

レグニッツ川湖畔の美しいバンベルク

バンベルク会議が行われたバンベルクは、ニュルンベルクから列車で30分~40分ほどなので、近辺の大都市からだとニュルンベルクから日帰りで行く人が多いようです。筆者も今回と以前に一度、バンベルクに足を運んだことがありますが、どちらもニュルンベルクに宿泊して向かいました。

中心部はドナウ運河とレグニッツ川が流れていて、旧市街のレグニッツ川の中の島、市庁舎はバンベルクのシンボルになります。4本の塔を持つ大聖堂が有名ですが、個人的にはレグニッツ川から望む聖ミヒャエル教会の光景が好きです。

レグニッツ川から見える聖ミヒャエル教会レグニッツ川から見える聖ミヒャエル教会

バンベルク会議が開催された場所へのアクセス

バンベルク会議が開かれた場所は旧市街から少しだけ離れています。道のりが少々複雑なので、バンベルク駅から徒歩でのアクセスをご案内します。

①駅前から真っすぐに伸びるルイトポルト通りをひたすら進みます。

②4つ目の交差点(右側に老舗ホテルのバンベルガー・ホーフ・ベルビュー)の次の右側への曲がり角を進みます(リチャード・ワグナー通り)。

バンベルガー・ホーフ・ベルビューバンベルガー・ホーフ・ベルビュー

リチャード・ワグナー通りリチャード・ワグナー通り

③リチャード・ワグナー通りをひたすら真っすぐ進み、川にかかっている橋を渡ると中の島に入ります。レグニッツ川が見えたら右側の小道を進み、レグニッツ川にかかっている橋を渡ります。

この橋を渡ると中の島この橋を渡ると中の島

右側の小道右側の小道

レグニッツ川にかかっている橋レグニッツ川にかかっている橋

レグニッツ川レグニッツ川

④そのまま坂道を進むとコンコルディア通りに突き当たり、左に進みます。

坂道坂道

コンコルディア通りコンコルディア通り

⑤コンコルディア通りを左に進むと、教会で行き止まりになりますが、その手前の右側の坂道を進みます。

行き止まりの先にある教会行き止まりの先にある教会

手前の右側の坂道手前の右側の坂道

⑥左側の緩やかな坂道を進むと、オーベラー・シュテファンスベルク通りに出ます。

左側の緩やかな坂道左側の緩やかな坂道

⑦オーベラー・シュテファンスベルク通りの一番初めの左側に曲がる道の角にある建物が、バンベルク会議が行われた場所です。

グーグルマップで検索できるのですが、道が少し複雑なので、道の名前を極力省き文字と写真での説明を入れました。訪問する場合のヒントになれば幸いです。

今はレストランとなっているバンベルク会議の場所

1926年2月14日、バンベルク会議が行われた建物は、当時のものではないようですが、現在は酒場になっていて、当時は酒場を兼ねた民宿だったようです。民宿の名前も「荒くれもの」と、いかにも当時、ドイツ国内をかき回そうとしていたナチスの集会に似合った名前です。

バンベルク会議が行われた跡地、酒場Stöhrenkellerバンベルク会議が行われた跡地、酒場Stöhrenkeller

ここでヒトラーは、一方的に演説を行います。ナチス党の総統である自分に忠誠を誓わなくてはいけないこと、いかなる分派も認めず、ゲッベルスやシュトラッサーが考案した改正した党要綱も一切認めませんでした。彼らを直接、攻撃することはせず、レトリック表現を使い、対立する思想への新しい概念を吹き込みます。

ヒトラーを自分たち側に引き入れようとした、ゲッベルスもシュトラッサーもヒトラーの独壇場の前には成す術がありませんでした。2人もナチス党におけるヒトラーのカリスマ性、自分への反攻分子を懐柔させる操術には黙るしかなかったのではないでしょうか。

ゲッベルスもこの日の日記に、無念の想いを書いたと言われますが、彼はヒトラーに傾倒していきます。傾倒時期に関しては、バンベルク会議の当日、または、この後4月に党本部があるミュンヘンにヒトラー直々に招かれて感激してからと、諸説があります。

いずれにせよ、元々ヒトラーに惹かれて、ナチス党に入党したゲッベルスにとってヒトラーは絶対的な存在だったのです。そして、ゲッベルスは、ナチスのNO.2として、斬新なプロパガンダ戦略を次々生み出して、ドイツ国民を改宗させるのに絶大な効果を発揮、ヒトラーを陰で支え、最期まで運命を共にしたのでした。

水木しげるの「劇画 ヒットラー」より転載。バンベルク会議の描写水木しげるの「劇画 ヒットラー」より転載。バンベルク会議の描写

彼ら2人の関係を絶対的なものにしたきっかけが、このバンベルク会議でした。

ゲッベルスをヒトラーに取られたシュトラッサーは、その後もヒトラーとの関係は完全に修復されず、謀反を企てたり、離党を宣言したりします。そして、1934年の長いナイフの夜事件のどさくさで殺害されてしまいます。

筆者もナチスのトップ2の運命が決まった場所跡の酒場がオープンしていたら、中で一杯飲みたかったのですが、訪れたのが早朝だったため、残念ながらオープン前でした。

そんなドイツの運命を左右する場所も、閑静な住宅街、街中からちょっとはずれた落ち着いた雰囲気の酒場からは想像がつかないのでした。

イントロダクション

店名:Stöhrenkeller
住所:Oberer Stephamsberg 11

関連動画
ヒトラーとゲッベルスの対決!バンベルク会議が行われた場所
ヒトラーとゲッベルスの対決!バンベルク会議が行われた場所(@YouTube)

同シリーズが「ヒトラー 野望の地図帳」として書籍化

同シリーズが書籍化され、各書店の歴史の棚の世界史やドイツ史のコーナーに置かれています。web記事とは違う語り口で執筆していて、読者の方々からは、時代背景が簡潔でわかりやすい、学者とは違うテイストが新鮮、という感想をいただいております。

歴史好きはもちろん、ちょっとマニアックなヨーロッパ旅行をしたい方々の旅のお供になる本です。

ヒトラー 野望の地図帳

「ヒトラー 野望の地図帳」
著者名:サカイ ヒロマル
出版社:電波社     
価格 :1,512円(税込) 

【連載】ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡(第1回~第100回)

著者:ヒロマル

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1979年神奈川県生まれ、神奈川県逗葉高校、代々木ゼミナールで1浪、立教大学経済学部卒業。

大学在学中からヨーロッパ、アジアなどを海外放浪してハマってしまい、そのまま新卒で就職せずフリーターをしながら続ける。その後、会社員生活をしながらも休み、転職の合間を利用して海外放浪を続ける。50ヶ国以上訪問。会社の休暇を利用して年に数回、渡欧して取材。

2012年からライター業を会社員との二足のわらじで開始。
2014年からwebメディア(株)フォークラスのTOPICS FAROで2つのシリーズを連載中。

▼もんちゃんねる(You Tube)
https://www.youtube.com/channel/UCN_pzlyTlo4wF7x-NuoHYRA

▼「ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/warruins
ヨーロッパ各地を取材し、第二次世界大戦に関する場所を紹介。
軍事用語などは極力省き、中学レベルの社会の知識があれば楽しめる記事にしています。
同シリーズが2017年に書籍化。
「ヒトラー 野望の地図帳」(電波社)から全国書店の世界史コーナーで発売中。

▼「受験に勝つ!世界史の勉強法」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/wh
2018年から主に世界史を中心とした文系の勉強方法について執筆。
大学受験だけでなく、大学生や社会人の大人の教養としての世界史の勉強方法にも触れて、
高校生、大学生、社会人とあらゆる世代を対象としています。

世間の文系離れを阻止して、文系の学問の復権に貢献することが、2つの連載の目的です。

▼ご依頼、ご質問はこちらのメールまたはツイッターから
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