【第24回】第二次世界大戦中、ナチスに抵抗した歴史を伝えるオランダの博物館|トピックスファロー

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2015年8月25日
【第24回】第二次世界大戦中、ナチスに抵抗した歴史を伝えるオランダの博物館

アムステルダムには、世界的に有名なアンネ・フランクの博物館があり、毎日長蛇の列ができています。入場するのに2時間以上待たされるのことも珍しくありません。しかし、アムステルダム中心部や郊外にも第二次世界大戦中のオランダを伝える博物館があります。

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アムステルダムのレジスタンス博物館(VERZETSMUSEUM)

レジスタンス博物館へのアクセス

アンネ・フランク博物館からユダヤ博物館までは、「アムステルダムの中心部に残る、第二次世界大戦中の面影を散策 編

ユダヤ博物館の前にある広場から、運河の上に架かる開閉式の橋を渡り、プランタージュ・ミッデンラーン通り(PLAMTAGE IDDENLAAN)に出て、2つ目の左側の通りプランタージュ・ケルクラーン(PLANTAGE PARKLAAN)通りにあるのが、レジスタンス博物館です。

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この辺りは旧ユダヤ人街で、戦時中ユダヤ人の赤ちゃんが預けられた託児所の建物や、ユダヤ人が強制収容所に移送される前に一時的に収容された建物などもあります。
また、運河を渡ったところにあるのが、ウェルトハイム公園(WERTHEIM PLANTSOEN)です。ここには、ポーランドのアウシュビッツ強制収容所で亡くなった人達を弔うアウシュビッツモニュメントもあります。

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占領下のオランダでナチスに抵抗した人達の記録

1940年5月、突如、西部戦線に押し寄せたドイツ軍の電撃作戦(黄色作戦)によって、オランダは5日間で降伏してしまいます。オランダは1940年5月15日から1945年5月4日までの約5年間、ナチスドイツの支配下に置かれました

レジスタンス博物館では、その期間の写真やカラーフィルム、あるいは記事や遺品などが展示されています。様々な分野でドイツに抵抗したオランダの人々のことを淡々と伝える展示内容です。

館内は時代系列順に展示されています。入口を入ると1940年5月にオランダが降伏した当時の記事やドイツ軍の侵攻のフィルムが流されて、重たい雰囲気になっていますが、出口付近では、連合軍によって解放されたオランダ人の喜びに満ちた写真で溢れ、明るい雰囲気になっています。

博物館全体を通して、注目してみたいのがナチスドイツ占領下のアムステルダムのカラーの写真やフィルムが豊富なことです。
アムステルダム中央駅、ダム広場、トラム、野菜を買うおばちゃんの姿・・・・
現代のアムステルダムの雰囲気とあまり変わらないことに気づくのではないでしょうか。

アムステルダムの街はドイツ侵攻時、オランダ政府が早期に降伏したために、攻撃対象にはなりませんでした。また、ドイツ統治下の期間も連合軍の激しい爆撃を受けることがなかったので、アムステルダムの街並みには戦前、戦中の面影がたくさん残っています。

レジスタンス博物館で、当時のカラー写真やフィルムを見てから、アムステルダムの街を歩けば、更に歴史を感じることができるのではないでしょうか。

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日本軍とも戦ったオランダ軍

ヨーロッパの連合軍の国々は、ヨーロッパ戦線でドイツ軍とのみ戦っていたイメージがありますが、太平洋戦線では日本軍とも交戦していました。
当時、東南アジアではシンガポールやマレーシアはイギリス領、インドネシアはオランダ領でした。各国には太平洋部隊が駐屯していて、彼らが日本軍と戦いました。

太平洋戦争が始まった1941年には、既にオランダ本国は、ドイツの占領下にありましたが、オランダ政府はイギリスへ亡命して存続していました。亡命政府の指揮下にあるオランダの太平洋部隊は、インドネシアに攻めてきた日本軍と戦うことになったのです。

しかし、オランダ本国は占領され増援が期待できない状況下にあり、当然オランダ軍の志気は低く、日本軍に降伏してしまいます。
戦後、戦時中の日本軍のオランダ軍兵士の捕虜の扱いについて、オランダ国内で問題になり、しばらく日本との関係修復に問題を残すことになりました。オランダ軍の太平洋戦線を扱った展示も豊富です。

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アムステルダム中駅からの行き方:トラム9番、動物園前下車、徒歩15分 入場料:10ユーロ(クレジットカードの支払いOK)
開館時間:土日月 11:00-17:00 火水木金 10:00-17:00
休館日:1月1日、4月27日、12月25日
レストラン、お土産コーナー有

ハーレムにあるユダヤ人の隠れ家 コリー・テンボーム博物館

アムステルダムのアンネ・フランクの家は有名ですが、アムステルダム近郊のハーレム(HAARLEM)にも隠れ家が残っています。その隠れ家は「コリー・テンボーム博物館」として公開されています。

当時、ハーレムの町で時計店を経営しいたテンボーム家は、熱心なクリスチャンでした。ナチスによるユダヤ人の迫害に心を痛めたテンボーム一家は、レジスタンスと共にユダヤ人を守る運動に参加します。

時計店の屋根裏部屋に隠れ場所を作ったりして、ユダヤ人をかくまいますが、1944年2月28日、密告によりゲシュタポに捕まり、強制収容所に送られてしまいました。過酷な強制収容所生活の中、家族で唯一生き延びたコリーが、執筆活動と講演活動を通じて、戦争の悲惨さ、理性を失わない大切さを訴え続けたのです。

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住所:Barteljorisstraat 19 2011 RA Haarlem
開館時間:4-10月、10:00-15:30 11月-3月、11:00-14:30
休館日:月、日、祝日
入場料:無料

どうやっていく?ハーレム

ハーレムは、アムステルダムの西20kmに位置しています。アムステルダム中央駅から列車で15-10分ほどで着きます。アムステルダムとハーレムの間は1時間に何本もダイヤがありますので、アムステルダムから充分日帰りで行ける距離です。

ハーレムの街並み

ハーレムの街の中心の広場、クローテ・マルクトへは、駅前から延びるクライス通り(kruisweg)を歩いて約10分ほどで着きます。広場にあるのは、15世紀建造のカトリック教会である聖バフォ教会と14世紀建造のゴシック建築の市庁舎です。

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コリー・テンボーム博物館はそのクローテ・マルクト手前の左側にあります。 クローテ・マルクトから南側にあるフランス・ハルス博物館のある小路、クライン・ハイリグラント(Groot Hieligland)は、中世の面影を残す美しい古い道です。

東側には、テイラー美術館があり、その前を流れるスパールネ川には、オランダらしい白いハネ橋もあります。小さい街なので、街の中心部だけの散策なら、1時間もあれば見て周ることができます。

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【連載】ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡(第1回~第100回)

著者:ヒロマル

戦争遺跡ライター
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1979年神奈川県生まれ、神奈川県逗葉高校、代々木ゼミナールで1浪、立教大学経済学部卒業。

大学在学中からヨーロッパ、アジアなどを海外放浪してハマってしまい、そのまま新卒で就職せずフリーターをしながら続ける。その後、会社員生活をしながらも休み、転職の合間を利用して海外放浪を続ける。50ヶ国以上訪問。会社の休暇を利用して年に数回、渡欧して取材。

2012年からライター業を会社員との二足のわらじで開始。
2014年からwebメディア(株)フォークラスのTOPICS FAROで2つのシリーズを連載中。

▼もんちゃんねる(You Tube)
https://www.youtube.com/channel/UCN_pzlyTlo4wF7x-NuoHYRA

▼「ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/warruins
ヨーロッパ各地を取材し、第二次世界大戦に関する場所を紹介。
軍事用語などは極力省き、中学レベルの社会の知識があれば楽しめる記事にしています。
同シリーズが2017年に書籍化。
「ヒトラー 野望の地図帳」(電波社)から全国書店の世界史コーナーで発売中。

▼「受験に勝つ!世界史の勉強法」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/wh
2018年から主に世界史を中心とした文系の勉強方法について執筆。
大学受験だけでなく、大学生や社会人の大人の教養としての世界史の勉強方法にも触れて、
高校生、大学生、社会人とあらゆる世代を対象としています。

世間の文系離れを阻止して、文系の学問の復権に貢献することが、2つの連載の目的です。

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