【第93回】ヒトラーに初めて栄誉勲章を与えられた街、コーブルク-その1|トピックスファロー

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2022年12月1日
【第93回】ヒトラーに初めて栄誉勲章を与えられた街、コーブルク-その1

ミュンヘン一揆から遡ること約1年前、イタリアのムッソリーニのローマ進駐に刺激されたヒトラーは、社会主義勢力が強いバイエルン州の古都コーブルクに党員を率いて乗り込みます。あまり知られていないコーブルク一揆とは?

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プレミュンヘン一揆?ヒトラーが進駐したコーブルク

1919年の結成以来、ヒトラー率いるナチスは、第一次世界大戦で混乱していたドイツ社会において、右翼的な国家社会主義を掲げてバイエルン州において、飛ぶ鳥を落とす勢いで勢力を拡大していきました。

1922年、イタリアではベニート・ムッソリーニ率いるファシスト党の黒シャツ隊がローマ進軍の真っ只中でした。ナチスが標榜する国家社会主義と類似点が多いファシスト党、イデオロギーのために武力と行動で示している姿に、ヒトラーは刺激されます。

ムッソリーニのグラスムッソリーニのグラス

ヒトラーは力の誇示を行う決意をします。そして、バイエルン州北部のコーブルクに目を付けました。ヒトラーの国家社会主義と相反する社会主義者、共産主義者が優勢だったコーブルクに、自身も乗り込む決意をします。

1922年10月14日、コーブルクの右翼団体による「ドイツの日」の祝典に招待されていたヒトラーは、特別列車を仕立てて、600人以上の党員、突撃隊を連れてミュンヘンからコーブルクに向かったのでした。お供した側近には、1年後のミュンヘン一揆で運命を共にするメンバーも多数参加していました。

プレミュンヘン一揆ともいえる、ヒトラーのコーブルク進駐。その現場を追ってみたいと思います。

どこにある?コーブルク

ドイツのコーブルクと聞いて、その名前を知っている日本人はほとんどいないと思います。

コーブルクはバイエルン州の最北にある街で、戦後の東西冷戦時代には、西ドイツ側の東ドイツとの国境となっていました。

コーブルクの歴史は古く、歴史の資料上に初めて現れたのは11世紀と言われ、16世紀後半から17世紀前半にかけては、ザクセン=コーブルク公国の首都となります。街の中心部にあるエーレンブルク城は、ザクセン=コーブルク公の居城でした。第一次世界大戦の廃線で君主制が終わると、国民投票でバイエルン州に編入されました。

エーレンブルク城エーレンブルク城

現在、コーブルクは人口4万人ほどですが、ドイツ新幹線ICEも停車します。ニュルンベルクからは列車で1時間半ほど、「ヒトラーとゲッベルスの対決!バンベルク会議」で紹介したバンベルクからは1時間弱です。筆者もニュルンベルクからバンベルク、コーブルクと一緒に取材しました。

コーブルク進駐の時、ヒトラーの列車もニュルンベルクで停車して、そこからも多くのと党員が乗り込んできました。

ニュルンベクルからコーブルクに向う車窓ニュルンベクルからコーブルクに向う車窓

1922年10月14日、コーブルク到着

①コーブルク駅に降り立つ
ヒトラー一行がコーブルク駅に到着した時、党員は800人ほどまで膨れ上がっていました。鉤十字の赤い旗の波と引きつれてきたブラスバンド隊の演奏と共に、ヒトラー達は街の中心部まで行進を始めます。ヒトラーはソフト帽、トレンチコート、長靴という姿でした。

彼らは警察に先導されて、道の両端に詰め寄ってきた、社会主義者たちに罵声を浴びせられながら進んでいきました。

コーブルク駅のホームコーブルク駅のホーム

ヒトラーが降り立ってから3年後の1925年と変わらない駅舎ヒトラーが降り立ってから3年後の1925年と変わらない駅舎

関連動画
ヒトラーから名誉市民を与えられた街、コーブルク①
▼コーブルク駅
ヒトラーから名誉市民を与えられた街、コーブルク① 1922年10月14日、ヒトラー一向、駅に降り立つ(@YouTube)

②街の中心部へ行進開始
そのルートを紹介します。
駅前は駅から真っすぐ進む道と、左右に道(ロッサウ通り)が延びています。バス停が見える右側に進むと、すぐ最初の左側に曲がる角に出くわします。その道(モーレン通り)を進み、イッツ川に架かる橋を超えて少し歩き、2つ目の交差点に出くわします。

モーレン通りモーレン通り

イッツ川イッツ川

橋を越えたところ橋を越えたところ

③街の中心部、ホーフブロイハウスで演説
駅から徒歩で10分弱、その角にドイツで全国展開しているデパート「GALERIA Kaufhof」があります。ここは当時、酒場ホーフブロイハウスがあり、そこでヒトラーは3,000人の前で演説します。

ホーフブロイハウスの跡地のデパートホーフブロイハウスの跡地のデパート

ミュンヘンでもヒトラーの演説でも度々使われた同じ名前の酒場「ホーフブロイハウス」がありますが、コーブルクにもあったのです(ミュンヘンのホーフブロイハウスは現在も営業しています)。

周辺はコーブルクの旧市街とも少し離れていて、周囲はレストランや売店が目立ちコーブルク市民の生活場のような感じがします。

ミュンヘンのホーフブロイハウスについては、「【第66回】ミュンヘンでヒトラーの面影を追う旅3 ~ヒトラーの躍進編~」をご参照ください。

関連動画
ヒトラーに名誉勲章を与えられた街、コーブルク②
▼デパート「GALERIA Kaufhof」
ヒトラーに名誉勲章を与えられた街、コーブルク② 1922年10月14日、駅から行進して中心部で演説したホーフブロイハウスは現在デパート。(@YouTube)

筆者もヒトラーが演説したホーフブロイハウスがあった跡のデパート「GALERIA Kaufhof」の前にある中華料理屋で、ヨーロッパに来たら必ず食べるチャーハンを頂きました。大都市の中華料理屋より、地方都市の方が安く食べることができます。

筆者が食べたチャーハン筆者が食べたチャーハン

ヒトラー一行はコーブルクの中心部を離れた場所で宿泊するため、再び群衆の中を通り抜けていきました。

【第93回】ヒトラーに初めて栄誉勲章を与えられた街、コーブルク-その1
>【第93回】ヒトラーに初めて栄誉勲章を与えられた街、コーブルク-その2

【連載】ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡(第1回~第100回)
【連載】ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡(第101回~)

著者:ヒロマル

戦争遺跡ライター
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1979年神奈川県生まれ、神奈川県逗葉高校、代々木ゼミナールで1浪、立教大学経済学部卒業。

大学在学中からヨーロッパ、アジアなどを海外放浪してハマってしまい、そのまま新卒で就職せずフリーターをしながら続ける。その後、会社員生活をしながらも休み、転職の合間を利用して海外放浪を続ける。50ヶ国以上訪問。会社の休暇を利用して年に数回、渡欧して取材。

2012年からライター業を会社員との二足のわらじで開始。
2014年からwebメディア(株)フォークラスのTOPICS FAROで2つのシリーズを連載中。

▼もんちゃんねる(You Tube)
https://www.youtube.com/channel/UCN_pzlyTlo4wF7x-NuoHYRA

▼「ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/warruins
ヨーロッパ各地を取材し、第二次世界大戦に関する場所を紹介。
軍事用語などは極力省き、中学レベルの社会の知識があれば楽しめる記事にしています。
同シリーズが2017年に書籍化。
「ヒトラー 野望の地図帳」(電波社)から全国書店の世界史コーナーで発売中。

▼「受験に勝つ!世界史の勉強法」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/wh
2018年から主に世界史を中心とした文系の勉強方法について執筆。
大学受験だけでなく、大学生や社会人の大人の教養としての世界史の勉強方法にも触れて、
高校生、大学生、社会人とあらゆる世代を対象としています。

世間の文系離れを阻止して、文系の学問の復権に貢献することが、2つの連載の目的です。

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