【第80回】半日だけのヨーロッパ大陸上陸作戦が行われたディエップ海岸-その1|トピックスファロー

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2019年6月4日
【第80回】半日だけのヨーロッパ大陸上陸作戦が行われたディエップ海岸-その1

第二次世界大戦中の連合軍によるフランス北部の沿岸での戦いというと、ダンケルク撤退作戦、ノルマンディー上陸作戦が有名です。しかし、1942年、少数兵力で上陸を試みる作戦が行われたことはあまり知られていません。その戦いが行われたディエップ海岸を紹介します。

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ディエップ上陸作戦(ジュビリー作戦)とは?

ジュビリー作戦は、約6,000人の兵力の英連邦下のカナダ軍を中心とする部隊が、フランスの北部のディエップ海岸に奇襲。その後、約6時間でイギリスへ撤退するという計画でした。

1942年8月19日朝、カナダ軍はディエップ海岸へ上陸を試みますが、ドイツ軍の猛反撃にあってしまいます。昼過ぎには戦いが終わりますが、イギリスへ帰ることができたのは約半数以下で、残りの兵士は戦死か捕虜となってしまいました。

現在のディエップ海岸現在のディエップ海岸

連合軍が無謀とも思えるディエップ上陸作戦を決行した理由は諸説があります。

  1. ディエップ海岸にあったドイツ軍のレーダーを強奪する説
  2. 東部戦線で単独でドイツ軍と戦っているソ連軍が、西部戦線で第二戦線構築を再三要求するために、カモフラージュのため戦っているふりをする説
  3. 将来、ドイツ支配下のヨーロッパ大陸への本格的な反攻のための予行演習とする説

いずれにせよ、恒久的に海岸を占領したり、内陸へ侵攻したりする兵力は用意されていませんでした。そのため「日帰り遠足」などと揶揄されたりもする特攻作戦でした。

ドイツ軍側はイギリスへ送り込んだスパイによって、ディエップに連合軍の部隊が上陸してくる情報を得ていました。そのため、あえてディエップ海岸を手薄に見せかけて、迎撃準備を整えていました。
カナダ軍が海岸に上陸して至近距離まで近づいてきたところで攻撃の火ぶたを切ります。そのためカナダ軍は大混乱に陥って、着の身着のままイギリスへ逃げかえるという結末を迎えます。

ドイツ軍の捕虜となった兵士は尋問で、このような証言をしたといわれています。

「こんな作戦を考えた奴が、一番馬鹿だ。」

そんなディエップ海岸を紹介します。

ディエップの戦いを報道する当時の新聞ディエップの戦いを報道する当時の新聞

リゾートビーチとなっているディエップ海岸

パリからディエップ海岸へ行く方法

ディエップ(Dieppe)は、1940年撤退作戦が行われたダンケルクと1944年上陸作戦が行われたノルマンディーのカーンとの中間くらいにある海岸です。

ダンケルクについては、「【第13回】奇跡の撤退作戦が行われたフランスの港町、ダンケルク」編。
ノルマンディーについては「【第9回】パリから日帰りで行けるノルマンディー上陸作戦の戦跡」編をご参考ください。

パリから鉄道でディエップへ行く場合は、ノルマンディー方面に行く列車が出るのと同じサン・ラサール駅が起点になります。サン・ラサール駅からディエップへ行く直通列車はないので、ルーアン(Rouen Rive Droite)で乗り換えになります。

ルーアンまでは、インターシティー(国内長距離特急)で約1時間15~1時間30分、ルーアンからディエップまでは、TER(ローカル列車)で約45分です。

ルーアンの英仏100年戦争でジャンヌ・ダルクが処刑された広場ルーアンの英仏100年戦争でジャンヌ・ダルクが処刑された広場。
ディエップの帰りにぜひも立ち寄ってください

ルーアンは観光地なので、パリからの列車は乗客が多いですが、ルーアンからディエップまではローカル列車になります。そのため、乗客が少なくフランスの田舎の車窓を楽しむことができます。
特にルーアンを出て最初に停車するMontville駅から見下ろす街並みは美しいです。ディエップへ向かう進行方向、右側から見ることができます。

Montville駅Montville駅

ディエップは海岸の街ですが、車窓は山岳地帯になり、トンネルをくぐると終点であるディエップ駅に到着します。海岸の近くが山岳地帯では、仮にカナダ軍が上陸しても、侵攻するのが困難なことがわかります。

ディエップ駅ディエップ駅

ディエップ駅舎にある第二次世界大戦で亡くなった人たちのメモリアルディエップ駅舎にある第二次世界大戦で亡くなった人たちのメモリアル

駅からディエップ海岸へ

戦場となった海岸は、駅から少し歩きます。

  1. 駅前から港沿いにあるベリニー通り(Boulevard Berigny)を進みます。
  2. 最初の左に伸びるジェネラル・ドゴール通り(Boulevard du General de Gaulle)を進みます。
  3. 交差点になっているマルティル広場(Place des Martyrs)から右側に伸びるジゴーニュ通り(Rue de Sygogne)を下っていくと海岸に着きます。

ジェネラル・ドゴール通りの中央にある両大戦のモニュメントジェネラル・ドゴール通りの中央にある両大戦のモニュメント。
マルティル広場はこの先

多くの犠牲を出したディエップ海岸

ジゴーニュ通りを海岸まで下ると、左側に公園となっているカナダ広場(後述)があります。

カナダ広場から、戦場となったディエップ海岸沿いには、ヴェルダン通りという道が伸びていて、沿道にはホテルやカジノがあります。戦前からディエップは、ホテルやカジノがあり、海水浴客が訪れる夏のリゾート地でした。

カナダ公園から伸びる海岸沿いの道カナダ公園から伸びる海岸沿いの道

ヴェルダン通り沿いの海岸は、作戦の暗号名でホワイトビーチと呼ばれ、主力部隊の上陸地点となった激戦地となります。

連合軍は海岸に上陸することに成功はしますが、陸揚げしたチャーチル歩兵戦車30両は、海岸の大きい玉砂利、急斜面により、立ち往生します。そこをドイツ軍に狙われました。ドイツ軍は、カジノ内に偽装された壕や海岸西側の崖で待ち構えており、一斉に激しい機銃掃射を浴びせたのです。

玉砂利と傾斜があるディエップ海岸。玉砂利と傾斜があるディエップ海岸。後方の崖から機銃掃射が浴びせられた

ホテルやカジノがある通りから海岸は遮断物がないことも災いして、カナダ軍は大混乱に陥ります。また、ドイツ空軍もヨーロッパ中から集まり、空からも激しい攻撃を浴びせたのでした。

ホテルが並ぶ通りから、海岸までは遮断物がないホテルが並ぶ通りから、海岸までは遮断物がない

結局、連合軍側は4,000人近い損害を出して、イギリスへ撤退していくことになります。

作戦に従事して生き残った兵士たちは、完全な敗北感と無謀な作戦への疑問が残るだけの戦いだったことが想像できます。

【第80回】半日だけのヨーロッパ大陸上陸作戦が行われたディエップ海岸-その1
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【連載】ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡(第1回~第100回)
【連載】ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡(第101回~)

著者:ヒロマル

戦争遺跡ライター
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1979年神奈川県生まれ、神奈川県逗葉高校、代々木ゼミナールで1浪、立教大学経済学部卒業。

大学在学中からヨーロッパ、アジアなどを海外放浪してハマってしまい、そのまま新卒で就職せずフリーターをしながら続ける。その後、会社員生活をしながらも休み、転職の合間を利用して海外放浪を続ける。50ヶ国以上訪問。会社の休暇を利用して年に数回、渡欧して取材。

2012年からライター業を会社員との二足のわらじで開始。
2014年からwebメディア(株)フォークラスのTOPICS FAROで2つのシリーズを連載中。

▼もんちゃんねる(You Tube)
https://www.youtube.com/channel/UCN_pzlyTlo4wF7x-NuoHYRA

▼「ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/warruins
ヨーロッパ各地を取材し、第二次世界大戦に関する場所を紹介。
軍事用語などは極力省き、中学レベルの社会の知識があれば楽しめる記事にしています。
同シリーズが2017年に書籍化。
「ヒトラー 野望の地図帳」(電波社)から全国書店の世界史コーナーで発売中。

▼「受験に勝つ!世界史の勉強法」シリーズ
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2018年から主に世界史を中心とした文系の勉強方法について執筆。
大学受験だけでなく、大学生や社会人の大人の教養としての世界史の勉強方法にも触れて、
高校生、大学生、社会人とあらゆる世代を対象としています。

世間の文系離れを阻止して、文系の学問の復権に貢献することが、2つの連載の目的です。

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