ディエップ上陸作戦(ジュビリー作戦)とは?
ジュビリー作戦は、約6,000人の兵力の英連邦下のカナダ軍を中心とする部隊が、フランスの北部のディエップ海岸に奇襲。その後、約6時間でイギリスへ撤退するという計画でした。
1942年8月19日朝、カナダ軍はディエップ海岸へ上陸を試みますが、ドイツ軍の猛反撃にあってしまいます。昼過ぎには戦いが終わりますが、イギリスへ帰ることができたのは約半数以下で、残りの兵士は戦死か捕虜となってしまいました。
連合軍が無謀とも思えるディエップ上陸作戦を決行した理由は諸説があります。
- ディエップ海岸にあったドイツ軍のレーダーを強奪する説
- 東部戦線で単独でドイツ軍と戦っているソ連軍が、西部戦線で第二戦線構築を再三要求するために、カモフラージュのため戦っているふりをする説
- 将来、ドイツ支配下のヨーロッパ大陸への本格的な反攻のための予行演習とする説
いずれにせよ、恒久的に海岸を占領したり、内陸へ侵攻したりする兵力は用意されていませんでした。そのため「日帰り遠足」などと揶揄されたりもする特攻作戦でした。
ドイツ軍側はイギリスへ送り込んだスパイによって、ディエップに連合軍の部隊が上陸してくる情報を得ていました。そのため、あえてディエップ海岸を手薄に見せかけて、迎撃準備を整えていました。
カナダ軍が海岸に上陸して至近距離まで近づいてきたところで攻撃の火ぶたを切ります。そのためカナダ軍は大混乱に陥って、着の身着のままイギリスへ逃げかえるという結末を迎えます。
ドイツ軍の捕虜となった兵士は尋問で、このような証言をしたといわれています。
そんなディエップ海岸を紹介します。
リゾートビーチとなっているディエップ海岸
パリからディエップ海岸へ行く方法
ディエップ(Dieppe)は、1940年撤退作戦が行われたダンケルクと1944年上陸作戦が行われたノルマンディーのカーンとの中間くらいにある海岸です。
ダンケルクについては、「【第13回】奇跡の撤退作戦が行われたフランスの港町、ダンケルク」編。
ノルマンディーについては「【第9回】パリから日帰りで行けるノルマンディー上陸作戦の戦跡」編をご参考ください。
パリから鉄道でディエップへ行く場合は、ノルマンディー方面に行く列車が出るのと同じサン・ラサール駅が起点になります。サン・ラサール駅からディエップへ行く直通列車はないので、ルーアン(Rouen Rive Droite)で乗り換えになります。
ルーアンまでは、インターシティー(国内長距離特急)で約1時間15~1時間30分、ルーアンからディエップまでは、TER(ローカル列車)で約45分です。
ディエップの帰りにぜひも立ち寄ってください
ルーアンは観光地なので、パリからの列車は乗客が多いですが、ルーアンからディエップまではローカル列車になります。そのため、乗客が少なくフランスの田舎の車窓を楽しむことができます。
特にルーアンを出て最初に停車するMontville駅から見下ろす街並みは美しいです。ディエップへ向かう進行方向、右側から見ることができます。
ディエップは海岸の街ですが、車窓は山岳地帯になり、トンネルをくぐると終点であるディエップ駅に到着します。海岸の近くが山岳地帯では、仮にカナダ軍が上陸しても、侵攻するのが困難なことがわかります。
駅からディエップ海岸へ
戦場となった海岸は、駅から少し歩きます。
- 駅前から港沿いにあるベリニー通り(Boulevard Berigny)を進みます。
- 最初の左に伸びるジェネラル・ドゴール通り(Boulevard du General de Gaulle)を進みます。
- 交差点になっているマルティル広場(Place des Martyrs)から右側に伸びるジゴーニュ通り(Rue de Sygogne)を下っていくと海岸に着きます。
マルティル広場はこの先
多くの犠牲を出したディエップ海岸
ジゴーニュ通りを海岸まで下ると、左側に公園となっているカナダ広場(後述)があります。
カナダ広場から、戦場となったディエップ海岸沿いには、ヴェルダン通りという道が伸びていて、沿道にはホテルやカジノがあります。戦前からディエップは、ホテルやカジノがあり、海水浴客が訪れる夏のリゾート地でした。
ヴェルダン通り沿いの海岸は、作戦の暗号名でホワイトビーチと呼ばれ、主力部隊の上陸地点となった激戦地となります。
連合軍は海岸に上陸することに成功はしますが、陸揚げしたチャーチル歩兵戦車30両は、海岸の大きい玉砂利、急斜面により、立ち往生します。そこをドイツ軍に狙われました。ドイツ軍は、カジノ内に偽装された壕や海岸西側の崖で待ち構えており、一斉に激しい機銃掃射を浴びせたのです。
ホテルやカジノがある通りから海岸は遮断物がないことも災いして、カナダ軍は大混乱に陥ります。また、ドイツ空軍もヨーロッパ中から集まり、空からも激しい攻撃を浴びせたのでした。
結局、連合軍側は4,000人近い損害を出して、イギリスへ撤退していくことになります。
作戦に従事して生き残った兵士たちは、完全な敗北感と無謀な作戦への疑問が残るだけの戦いだったことが想像できます。
【第80回】半日だけのヨーロッパ大陸上陸作戦が行われたディエップ海岸-その1
> 【第80回】半日だけのヨーロッパ大陸上陸作戦が行われたディエップ海岸-その2