※本ページには戦死した連合軍の兵士の写真が掲載されています。ご注意ください。
当時のディエップの人たちの思いが残る、カナダ広場
連合軍側に4,000人近い犠牲を出したディエップでの戦い。撤退した連合軍側にとっては、今回の戦いは意義があったのか疑問を持つものでした。
しかし、ディエップの人達はそうは思っていなかったのです。それは海岸の近くにあるカナダ広場という公園でわかります。
ジゴーニュ通り沿いにあるカナダ広場は、ディエップの戦いに参戦した連合軍の主力だったカナダ軍に敬意を表して、カナダ国旗が至る所にデザインされています。
公園の入口にある碑には、次のように記されています。
ディエップの戦いは、フランス解放へ向けて前進する、最初の連合軍による大がかりな反抗だといっています。
実際には、カナダ軍は惨敗。ディエップの街が解放されるのは、それから2年以上待たなければなりませんでした。しかし、ディエップの街は、この戦いが後の連合軍による大反攻につながったと考えているのがわかります。
一般的に無謀な戦いだったという認識がなされていますが、現地では彼らの犠牲は決して無駄ではなく、ノルマンディー上陸作戦の布石となったという認識なのです。だからディエップの街ではカナダ軍は「敗軍の将」ではないのです。
また、ディエップの戦いの日に捕虜になったカナダ兵は、地元の人たちが上陸してきたカナダ軍を密かに歓迎して、支援していたということを戦後に聞かされます。
ノルマンディー上陸作戦、パリ解放が成功した直後の1944年9月1日、カナダ軍によってディエップの街は解放されます。その時彼らが住民の温かい歓迎を受けたのは、いうまでもありません。
ディエップと似たような運命を辿ったオランダの街
ディエップの戦いのように、連合軍がドイツ占領下の都市を奪回しようとして失敗した作戦があります。それは、オランダのアーネムの「マーケット・ガーデン作戦」です。
イギリス軍の空挺部隊が、アーネムを制圧しようとして失敗します。これは、映画「遠すぎた橋」の舞台として有名です。アーネムも終戦直前、ディエップと同じくカナダ軍に解放されるのでした。
アーネムとマーケット・ガーデン作戦については、「【第21回】映画「遠すぎた橋」の舞台となった激戦地、オランダのアーネム」編をご参照ください。
ディエップの戦いの博物館
カナダ広場近くには、ディエップの戦いの博物館である、1942年8月19日メモリアルがあります。
場所は、カナダ広場とマルティル広場間のジゴーニュ通りを、マルティル広場から見て3本目。右に伸びるリュ・デュ・ポール・ドゥエスト通り(Rue du port-d’Ouest)を入って、すぐ左にあります。
元々、19世紀に建てられた劇場だったものを、2002年にディエップの戦いの博物館として公開しています。
劇場だった部分が博物館の展示室になっていて、広くはありませんが兵士の軍服や所持品、当時の写真や新聞記事などが豊富に展示されています。
一定の時間になると、部屋の中央では、当時の映像と共に生き残ったカナダ兵のインタビューを交えたドキュメンタリー映画を上映してくれます。フランス語で流れますが、英語の字幕も映ります。
イントロダクション
1942年8月19日メモリアル(ディエップの戦いの博物館)
正式名称 :19th August 1942 Memorial
住所 :76200DieppePlace Camille Saint Saens
入場料 :3.5ユーロ(クレジットカード可能)
開館日時 :月曜から金曜日の9:00~12:00、14:00~17:30(月曜日は午後のみ開館)
公式サイト:https://www.dieppe-operationjubilee-19aout1942.fr/english-version/
※詳しい時間は公式サイトで確認してください。
< 【第80回】半日だけのヨーロッパ大陸上陸作戦が行われたディエップ海岸-その1
【第80回】半日だけのヨーロッパ大陸上陸作戦が行われたディエップ海岸-その2
同シリーズが「ヒトラー 野望の地図帳」として書籍化
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