【第25回】ベルリンの中心部に眠る、ナチス時代の遺産を巡る散策・前編|トピックスファロー

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2015年8月25日
【第25回】ベルリンの中心部に眠る、ナチス時代の遺産を巡る散策・前編

ベルリンの象徴であるブランデンブルグ門は、いつも多くの観光客で賑わっています。ブランデンブルグ門から徒歩圏内の周囲には、ナチス時代の遺産がたくさんあります。前編ではブランデンブルク門の西側を紹介します。

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ブランデンブルク門の西側にあるナチス時代の遺跡

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1961年から1989年まで、ベルリン最大の公園ティアルガルデンとブランデンブルク門の間には、ベルリンの壁がありました。その西側、旧西ベルリン側にあるナチス時代の遺跡を追ってみたいと思います。

また、緑豊なティアルガルデンは、ナチスドイツが崩壊する直前の1945年4月のベルリン決戦で、ソ連軍とドイツ軍守備隊の激戦が行われた場所でもあります。今ではジョギングやサイクリングをする人々の姿が見られ、市民の憩い場となっているので、ナチス遺跡巡りの合間に散策してみてはいかがでしょうか。

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ドイツ抵抗運動記念館(GERMAN RESISTANCE MEMORIAL CENTER)

「ベルリンに残るナチス時代の遺産と日本編」で、紹介した日本大使館の前のティアルガルデン通り(TIERGARTEN)をポツダム広場方向に進みます。 右手に見えてくるスタッフェンブルグ通り(STAUFFENBERG)を曲がると、MARITIN HOTELの前にあるのがドイツ抵抗運動記念館です。

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その名の通り、ドイツ国内でナチスに抵抗した人達の記念館です。6階建ての建物に中庭があるというベルリンの典型的な集合住宅になっています。

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記念館の内部は、映画「ワルキューレ」の題材となった1944年のヒトラー暗殺失敗事件、ミュンヘン大学の白バラ抵抗運動のゾフィーなどが紹介され、展示物をコンピューターで検索することもできます。展示は2つの階にわけてありますが、そんなに広くないので見学に時間はかからないと思います。

住所:STAUFFENBERG STR 13-14 10785 BERLIN
入場料: 無料
展示言語: ドイツ語、英語
最寄り駅: Uバーン、Sバーン POTSDAMER PLATZ駅
カフェテリア:なし
売店:書物のみ

関連動画
ドイツ抵抗博物館 ヒトラー暗殺未遂事件の地
ドイツ抵抗博物館 ヒトラー暗殺未遂事件の地(@YouTube)

ドイツ連邦議会議事堂 ~ヒトラーが政権を取る口実となった放火事件の現場~

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ドイツ抵抗運動記念館からティアルガルテン公園を抜けると、ベルリン最大の観光名所、ブランデンブルク門があります。ブランデンブルク門を背に右手に見えるガラス張りのドームがドイツ連邦議会議事堂、いわゆるドイツの国会議事堂です。国会議事堂には常に観光客の長蛇の列ができています。

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アジアは日清戦争が始まった1894年に完成しました。ガラス張りのドームは当時の最先端技術でした。その国会議事堂もナチス時代、重要な事件の舞台となりました。
ヒトラーがドイツ首相になってから2カ月後の1933年3月、オランダ人の共産党員によって国会議事堂が放火されます。ナチスはこの事件を利用して共産党を解散させ、全権委任法を成立させます。

全権委任法とは、立法、外交、法律に関する決定権を議会から首相(ヒトラー)に移管すること、つまり民主主義と大統領権限の抹殺といえるでしょう。
8月には大統領のヒンデンブルクが亡くなると、大統領職も兼任して「総統」となります。ヒトラーは完全なドイツの独裁者となったわけです。国会議事堂放火はその契機となった事件として記憶されています。

入場料:無料
開館時間:8:00-24:00
最寄り駅:Uバーン55 BUNDESTAGから徒歩5分

クロールオペラハウス跡地 ~ヒトラーの宣戦布告の演説が行われた建物跡~

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国会議事堂の前は連邦広場(PLATZ DER REPUBLIK)という空き地になっています。連邦広場では一息ついている人の観光客の姿もみられます。ここはクロールオペラハウスという、第二次世界大戦の発端であるポーランド侵攻、アメリカへの宣戦布告など、ヒトラーが政治的に重要な宣言をした演説が行われた建物が存在していた場所です。

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ポーランドへの侵攻(1939年9月1日)

真珠湾攻撃がだまし討ちと言われていますが、ドイツの宣戦布告の仕方も騙しに近いです。ポーランドとの国境近くの駐在所に、刑務所から連行してきたドイツ軍の格好をさせた死刑囚を詰め込んで、ポーランド兵に変装したSS部隊が彼らを皆殺しにしました。

ポーランドが先に国境侵犯を犯したかのように見せかけたのです。ヒトラーはオペラハウスでポーランド軍の攻撃を受けた、ポーランド国境付近のドイツ人は迫害されている等と、戦争への正当性を主張します。その2日後の9月3日、イギリス、フランスはドイツに宣戦布告します。

アメリカへの宣戦布告(1941年12月11日)

日本が真珠湾攻撃を行った3日後に、ドイツもアメリカに宣戦布告します。
当時締結していた日独伊3国軍事同盟は、第3国から攻撃を受けた場合、参戦義務がありますが、同盟国が勝手に戦争した場合は参戦する義務は生じません。しかし、ヒトラーは側近の反対を押し切って、アメリカへ宣戦布告します。

ちなみに当時、ドイツはソ連に侵攻して戦争していましたが、日本はソ連とは中立条約を結んでいたので、戦争末期までは日本とソ連は戦争しませんでした。
ヒトラーは日本の真珠湾攻撃のニュースを聞いた時、側近に豪語していたそうです。

「建国以来負けを知らない世界最強の国が味方になった。」

ドイツのアメリカへの宣戦布告により、ヨーロッパが舞台だった戦争が、太平洋、大西洋の戦いとも連動して、世界的な規模の戦争へと発展します。

このクロールオペラハウスは、1943年の爆撃で破壊されてしまいます。
6-1 6-2 その空き地の目立たない場所に、ひっそりと存在を示す英語とドイツ語の表記がある看板や石碑もあります。

最寄り駅:Uバーン BUNDESTAG
住所:LANGHANS,PERSICUS,KNOBLAUCH,1844

ベルリン・スポーツ宮殿跡~ゲッペルス宣伝大臣の総力戦演説が行われた場所~

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ブランデンブルク門からは少し離れますが、ゲッペルス宣伝大臣による「総力戦演説(SPORTPLAST)」が行われたベルリン・スポーツ宮殿跡があります。

総力戦演説(SPORTPLAST)

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総力戦演説とは、ゲッペルス宣伝大臣が、1942年2月18日、東部戦線のスターリングラードでドイツ軍が大敗した直後、ドイツ軍が深刻な局面に直面していることを初告白して、国民に総力戦を呼びかけた有名な演説です。

「諸君は総力戦を望むか?諸君が必要とされるならば、我々が今、想像する以上の全面的で徹底的な戦争を望むか?」

12000人の聴衆は「YES!」と熱狂的に叫びます。そして何百万人のドイツ国民がラジオで聞き、世界中に配信されました。
ドイツ軍が連戦連勝と盲信していた同盟国の日本は、この総力戦演説によってドイツ軍の力に疑問を抱くようになり、この年にドイツの国力の実体を調査するため、政府・軍関係者からなる調査団をドイツに派遣することになります。

現在はアパート郡が立ち並ぶベルリン・スポーツ宮殿跡

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その総力戦演説が行われたベルリン・スポーツ宮殿は、1910年に10000人を収容できる多目的催会場としてオープンしました。当時の目玉は世界最大のスケートリンクでした。

しかし、第一次世界大戦以降のワイマール時代には、ナチスをはじめ、各政党の政治集会に使われることが多くなります。総力戦演説の約1年後、1944年1月30日、連合軍の爆撃によって破壊されてしまいます。

戦後はスポーツ施設として復活しますが、今は1階にはエスニック料理が並ぶ6F建てのアパート群となっています。当時を偲ばせる雰囲気は全くありませんが、クロールオペラハウス同様、ベルリン・スポーツ宮殿があったことを示す看板が建てられています。

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また、そのアパート群の前には、ブンカー跡(防空壕)もあります。ベルリンでは、まだ第二次世界大戦が終わっていないのが実感できます。

最寄り駅:Uバーン KLEISTPARK
住所:POTSDAMER STR. 172
ポツダム通り(POTSDAMER STR.)とPALLAS STR.の交差する場所になります。
ポツダム広場からはポツダム通りを南にひたすら歩いていくと20分ほどで着きます。

ベルリンは歴史を知ると、街歩きが楽しくなる

ベルリンに限らずドイツ国内では、ナチス時代の遺産がたくさん残っています。
抵抗博物館のように博物館として公開されているもの、国会議事堂のように観光地となっているもの、あるいはクロールオペラハウス跡やベルリン・スポーツ宮殿跡のように看板しか残っていないものなど、残し方は様々です。

歴史の小ネタを知っていると、なんとなく通り過ぎてしまう場所が歴史的な大事件の現場だったことがわかります。ベルリンはナチス時代に限らず、帝政時代、戦後の東西分裂時代など、現代史の主役の舞台となってきました。

今のベルリンは世界中からアーティストが集まり、新しい文化が芽生えていますが、激動の歴史を伝えるものは、その片鱗でも残そうとしています。 ベルリンは歴史を知れば、街歩きが更に面白くなり、その深い魅力がわかってくる街です。

ベルリンの中心部に眠る、ナチス時代の遺産を巡る散策・後編」では、ブランデンブルク門を潜って、東側に行きたいと思います。

【連載】ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡(第1回~第100回)
【連載】ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡(第101回~)

著者:ヒロマル

戦争遺跡ライター
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1979年神奈川県生まれ、神奈川県逗葉高校、代々木ゼミナールで1浪、立教大学経済学部卒業。

大学在学中からヨーロッパ、アジアなどを海外放浪してハマってしまい、そのまま新卒で就職せずフリーターをしながら続ける。その後、会社員生活をしながらも休み、転職の合間を利用して海外放浪を続ける。50ヶ国以上訪問。会社の休暇を利用して年に数回、渡欧して取材。

2012年からライター業を会社員との二足のわらじで開始。
2014年からwebメディア(株)フォークラスのTOPICS FAROで2つのシリーズを連載中。

▼もんちゃんねる(You Tube)
https://www.youtube.com/channel/UCN_pzlyTlo4wF7x-NuoHYRA

▼「ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/warruins
ヨーロッパ各地を取材し、第二次世界大戦に関する場所を紹介。
軍事用語などは極力省き、中学レベルの社会の知識があれば楽しめる記事にしています。
同シリーズが2017年に書籍化。
「ヒトラー 野望の地図帳」(電波社)から全国書店の世界史コーナーで発売中。

▼「受験に勝つ!世界史の勉強法」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/wh
2018年から主に世界史を中心とした文系の勉強方法について執筆。
大学受験だけでなく、大学生や社会人の大人の教養としての世界史の勉強方法にも触れて、
高校生、大学生、社会人とあらゆる世代を対象としています。

世間の文系離れを阻止して、文系の学問の復権に貢献することが、2つの連載の目的です。

▼ご依頼、ご質問はこちらのメールまたはツイッターから
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