闇に葬られた横浜港ドイツ軍艦爆発事件とは?
第二次世界大戦中の1942年11月30日、横浜港で突如大爆発が起こりました。重油を運ぶ高速タンカーであるドイツ海軍の軍艦「ウッカーマルク号」が引火して大爆発したのです。さらに、近辺に停泊していた*仮装巡洋艦「トール号」など4隻も巻き込まれ、失われました。この爆発で、ドイツ海軍の水兵や日本人などの労働者、合わせて102名が犠牲となります。
*仮装巡洋艦・・・中立国の商船を偽装して敵国を襲っていたドイツの軍艦の総称
この軍艦の喪失は、日独両国にとって痛手だったと思われます。
ウッカーマルク号、トール号は共に軍艦でありながら、同盟国である日本とドイツの物資を、お互いの国に運ぶための役目も担っていました。さらに当時は、世界最強といわれたイギリス海軍が大半のシーレーンを掌握していた時期。多くの潜水艦が犠牲になる中、無事に日本に寄港できた軍艦はとても貴重だったのです。
現在でも爆発の原因がわからない
この事件は戦時中ということもあり、当時、地元住民には情報統制が敷かれて、事件に関しては一切、国からの説明、報道などはありませんでした。そのため戦後、この事件は明るみになることはありませんでした。しかし、横浜税関に事件のフィルムが残されており、平成になってから神奈川新聞の取材で事件が明るみになります。
現場はJR桜木町駅からも徒歩15分ほどの場所にあり、山手や野毛山の住人にも爆発音は聞こえたそうです。そのため、地元住人の記憶の隅には残っており、神奈川新聞が取材した時も彼らの証言は貴重な資料になりました。
しかし、事件が明るみになったものの、原因は敵国の工作員の破壊工作、作業員の不始末などの説があり、いまだに事故と事件のどちらなのか謎に包まれたままです。
爆発事件があった横浜の新港ふ頭
爆破事件の現場は、「横浜ハンマーヘッド」という複合施設がある、現在の横浜の新港ふ頭8号バースになります。
当時の爆発を知る「ハンマーヘッドクレーン」と、新港地区のリニューアル工事
ヨコハマ ハンマーヘッド プロジェクトにより、2019年10月、横浜・みなとみらいの新名所として、「横浜ハンマーヘッド」という商業施設、客船ターミナル、ホテルなどが一体となった複合施設が誕生しました。
横浜の新港地区は、現在、赤レンガ倉庫やワールドポーターズなどの商業施設で賑わっていますが、横浜港初の近代的なふ頭として明治時代から大正時代にかけて建設されました。
ふ頭の先に灰色のクレーンが見えます。
これが「ハンマーヘッドクレーン」で、ヨコハマ ハンマーヘッド プロジェクトの名前の由来となっています。
第一次世界大戦が始まった1914年に設置され、港湾荷役専用クレーンとして活躍しました。このおかげで、貨物船が着岸してから貨物を効率よく扱うことができるようになり、横浜港の発展に貢献。関東大震災でも倒壊せず、第二次世界大戦中の空襲でも破壊されず、横浜の復興にも携わってきました。ウッカーマルク号の大爆発もすぐ隣で見ていた歴史の証人でもあります。
70年代からは貨物船での輸送はコンテナ化が進みます。横浜の港湾機能の中心は、大黒や本牧ふ頭に移り、クレーンはガントリークレーンが中心となりました。横浜のハンマーヘッドクレーンは現在使われていませんが、歴史遺構として残っています。
大爆発があった新港ふ頭8号バース
GOOGLEマップでは、「トール号殉難の地」と記されていますが、現地にはその碑などの類はありません。爆発があった岸壁付近はバス停になっています。
現地の様子はYouTubeでアップしました。
日本にもあった?!第三帝国の戦跡 横浜港でドイツ軍艦が大爆発!トール号殉難の地①
https://www.youtube.com/watch?v=K5fD66oz4dA&t=4s
日本にもあった?!第三帝国の戦跡 横浜港でドイツ軍艦が大爆発!トール号殉難の地②
https://www.youtube.com/watch?v=6TFJdGBFVhg
日本にもあった?!第三帝国の戦跡 横浜港でドイツ軍艦が大爆発!トール号殉難の地③
https://www.youtube.com/watch?v=JvN2XBiBxCg
ヨコハマ ハンマーヘッド プロジェクトでは、「ハンマーヘッドパーク」として、ハンマーヘッドクレーンを残して、新旧横浜のシンボルとして、市民の憩い場としても活用されています。
たくさんの人で賑わっていますが、ぜひ、「トール号殉難の地」の碑も現場付近にひっそりと設置して一般公開されてほしいと思います。
新港内には、JICAの海外移住資料館、戦前まで海外への玄関口となっていた横浜港駅跡、新港から少し足を伸ばせば、日本の海運業を支えてきた日本郵船の歴史博物館もありますので、港町横浜の歴史散策を楽しめるスポットです。
旧横浜駅港プラットホーム かつての海外との玄関口
JICAの海外移住資料館
https://www.jica.go.jp/jomm/
日本郵船歴史博物館
https://www.nyk.com/rekishi/
ドイツ兵のその後
負傷したドイツ軍の水兵達は、横浜警友病院(現けいゆう病、みなとみらい地区)へ運ばれます、一部兵士の応急処置は山下公園の前にあるホテル・ニューグランド(現在も営業中)でも行われました。
当時は230世帯ものドイツ人家庭が山手地区にあったので、負傷しなかった兵士はそこのドイツ人家庭に引き取られました。
そして、その後(事件から5ヶ月後の)1943年4月、ドイツ兵は箱根の温泉宿に移送されます。
次回はその箱根へ、足を運びます。
→ 「【第63回】神奈川県に存在するナチスドイツの史跡 ~箱根編~」へ
同シリーズが「ヒトラー 野望の地図帳」として書籍化
同シリーズが書籍化され、各書店の歴史の棚の世界史やドイツ史のコーナーに置かれています。web記事とは違う語り口で執筆していて、読者の方々からは、時代背景が簡潔でわかりやすい、学者とは違うテイストが新鮮、という感想をいただいております。
歴史好きはもちろん、ちょっとマニアックなヨーロッパ旅行をしたい方々の旅のお供になる本です。
著者名:サカイ ヒロマル
出版社:電波社
価格 :1,400円(税抜)