【第107回】戦うポーランド!ワルシャワのヴィスワ川沿いの戦跡 後編-その12|トピックスファロー

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2024年9月3日
【第107回】戦うポーランド!ワルシャワのヴィスワ川沿いの戦跡 後編-その12

ワルシャワを南北に流れるヴィスワ川は、1944年のワルシャワ蜂起でも戦況に大きな影響を与えた天然要塞です。ワルシャワ市内からヴィスワ川を越えると、プラガ地区になります。蜂起時、ソ連軍はここまで進撃してきました。本記事ではワルシャワ側のヴィスワ川沿いの戦跡を紹介します。

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ヴィスワ川沿い、チャルニャクフ地区最後の拠点

ヴィスワ川沿いをそのまま南下して、イェロゾリムスキ大通りを越えると、ソレツ通りになります。

この一帯はチャルニャクフ地区で、かつては工場労働者が住む地域でした。
ヴィスワ川に近く、国内軍、ドイツ軍にとっても戦略的に重要な地域だったため、ワルシャワ開始1ヶ月後の1944年9月から、この一帯での戦闘が激しくなりました。

ソレツ通りを少し進むと、ヴィラノフスカ通りと直角に出会います。その角の緑地に十字架をバックに、戦うポーランドのPWの碑があります。

この一帯は、この地区で国内軍の最後の抵抗拠点となった場所です。9月半ばからチャルニャクフ地区の戦闘は激しくなり、ヴィラノフスカ通りの緑地の碑の隣にある5階建ての建物に国内軍は最後まで立てこもりました。ドイツ軍の激しい砲撃の中、近隣の住民にも多数の犠牲者を出しつつも抵抗します。

右奥の建物は国内軍が最後まで立てこもった建物。左の建物にプレートがある。右奥の建物は国内軍が最後まで立てこもった建物。左の建物にプレートがある。

指揮官は最後まで降伏勧告を拒否しますが、9月下旬にはドイツ軍に完全に制圧されてしまいました。現在、国内軍が最後まで立てこもった建物は市民が住むアパートでその壁には、ワルシャワ蜂起の少年兵や兵士のストリートアートが描かれています。

反対側の建物にもプレートが埋め込まれています。

「53日間に渡るドイツの占領者との英雄的な戦いの末に終わった。」

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【ワルシャワ蜂起の痕跡を巡る➉】住宅街になっているヴィスワ川沿いの激戦地(@YouTube)

ヴィスワ川渡河作戦

戦前、ヴィスワ川には、ワルシャワ市内とプラガ地区を結ぶ橋が4つありました。
ワルシャワ蜂起直前の1944年7月末日頃、プラガ地区郊外までソ連軍は進撃してきました。その後、ソ連軍はプラガ地区を支配下にしたものの、ヴィスワ川を挟んだ向かい側のワルシャワには進まず、進撃をストップします。蜂起後も進むことはなく、ポーランドへの援軍も出しませんでした。
そしている間に、9月13日、ドイツ軍は、全ての橋を爆破します。

プラガ地区のソ連側にいる連絡役の兵士が、幾度となくワルシャワの国内軍と連絡を取ろうと、闇夜に隠れて小型のボート、もしくは泳いでワルシャワへ渡ろうとしました。しかし、ワルシャワ側へ到達できたのはごくわずかで、その多くがドイツ軍の砲撃で消えていったそうです。

ソレツ通りをさらに南下して歩いていくと、広い緑地に6本の柱が立ち、その中に身をかがめる兵士の像があります。ドイツ軍が橋を爆破した際、しかけた地雷をワルシャワ解放時に撤去した工兵を称えるモニュメントです。

そのモニュメントからヴィスワ川に向かい、地下道をくぐると、ヴィスワ川渡河作戦に参加した兵士たちを描いたレリーフがあります。女性兵士もいてどの兵士も苦しそうな表情なのが印象的です。

地上に上がると、正方形の平たいレリーフがあります。

9月16日から3夜続けて、ヴィスワ川渡河作戦に参加したポーランド軍兵士がこの場所に上陸しましたが、ワルシャワの国内軍との連携がうまくいかず失敗に終わりました。このレリーフは、その事が書かれています。

「ソ連軍の火砲と空軍の支援の下、ヴィスワ川を渡航した後、ナチスドイツと戦い、勇敢な最期を遂げた。」

ソ連軍の後方支援を強調していて、ソ連のプロパガンダ色が強いレリーフと言われています。

破壊された瓦礫で作ったワルシャワ蜂起の丘

ソレツ通りをヴィスワ川沿いに更に南下すると、チェルニャコフスカ通りと名前が変わります。この辺りまで行くと、ドイツ占領軍の司令部が置かれたワジェンキ公園が右側に見えてきます。そして、チェルニャコフスカ通りをそのまま進むと、バルティツカ通り(向かって左側)と交差する交差点に着きます。ここでチェルニャコフスカ通りからノヴォシェレツカ通りへと名前がかわり、その角にある建物はナザレ修道院です。

当時を記すプレート当時を記すプレート

このナザレ修道院は、1939年9月のワルシャワ防衛戦では、ポーランド軍の出撃拠点となり、負傷した避難民の避難所にもなっていました。ワルシャワ蜂起開始時にはドイツ軍に占拠されており、8月26日から27日かけて国内軍が攻撃を開始、一時は制圧しますが、再びドイツ軍に奪い返されます。

建物には弾痕の跡も残る建物には弾痕の跡も残る

また、ナザレ修道院の目の前には地下水道への出入り口となるマンホールもありました。

地下水道のルートを示すプレート地下水道のルートを示すプレート

そのナザレ修道院からバルティツカ通りを進んでいくと、左手にアウトレットのお店が見えてきます。その右側は丘になっており、その前には石が積まれています。この石はワルシャワ蜂起で破壊された建物の瓦礫です。

そしてこの丘は「ワルシャワ蜂起の丘」と呼ばれて、ワルシャワ蜂起で出た瓦礫で作った人工的な丘なのです。

石段を登り頂上まで行くと、戦うポーランドを表したPWの錨のモニュメントがあります。

頂上は見晴らしがよく、ワルシャワの街を見渡すことができます。ランニングや散歩している市民の姿もあり、その光景をみるとここが戦争で破壊された土で盛られた丘だとは想像がつきません。

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次回の記事ではヴィスワ川を渡って、ワルシャワ蜂起時にソ連軍が駐留していたプラガ地区を紹介します。

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【連載】ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡(第1回~第100回)
【連載】ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡(第101回~)

著者:ヒロマル

戦争遺跡ライター
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1979年神奈川県生まれ、神奈川県逗葉高校、代々木ゼミナールで1浪、立教大学経済学部卒業。

大学在学中からヨーロッパ、アジアなどを海外放浪してハマってしまい、そのまま新卒で就職せずフリーターをしながら続ける。その後、会社員生活をしながらも休み、転職の合間を利用して海外放浪を続ける。50ヶ国以上訪問。会社の休暇を利用して年に数回、渡欧して取材。

2012年からライター業を会社員との二足のわらじで開始。
2014年からwebメディア(株)フォークラスのTOPICS FAROで2つのシリーズを連載中。

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▼「ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡」シリーズ
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ヨーロッパ各地を取材し、第二次世界大戦に関する場所を紹介。
軍事用語などは極力省き、中学レベルの社会の知識があれば楽しめる記事にしています。
同シリーズが2017年に書籍化。
「ヒトラー 野望の地図帳」(電波社)から全国書店の世界史コーナーで発売中。

▼「受験に勝つ!世界史の勉強法」シリーズ
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2018年から主に世界史を中心とした文系の勉強方法について執筆。
大学受験だけでなく、大学生や社会人の大人の教養としての世界史の勉強方法にも触れて、
高校生、大学生、社会人とあらゆる世代を対象としています。

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