内陸の国、オーストリアにも港がある
現在のオーストリアは海がない内陸国ですが、海と全く縁がない国ではありません。
ヒトラーが生まれ育ったオーストリア=ハンガリー帝国時代は、アドリア海と面している現在のクロアチア、スロベニア、イタリア一体も領土だったので、海軍を持っている国でした。ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」のモデルとなったトラップ大佐やヒトラーと同盟関係を結んでいたハンガリーの摂政、ホルティ提督は、オーストリア=ハンガリー帝国海軍の軍人です。
第一次世界大戦の敗戦による「サン=ジェルマン条約」によって、領土を取り上げられ、ハンガリーとの合併も解体させられたオーストリアは、海を持たない国となってしまいました。
しかし、その後のナチス時代、現代でも内陸国オーストリアにとって、海とのつながりは国の繁栄のために欠かせません。オーストリアにとってその役割を果たしたのが、黒海を河口とするヨーロッパで2番目に長いドナウ川(ロシアのヴァルゴ川が最長)です。
ドナウ川の本流は、ルーマニア、セルビア、クロアチア、スロバキアからオーストリアに入り、ヒトラーも青年、幼少時代を送ったウィーン、リンツ、パッサウを通り、ドイツ国内に入ります。
ドナウ川は国際河川として、外国の貨物船も行き交うことができ、ライン川と共にヨーロッパの主要な海上輸送ルートとなっております。ウィーンやリンツには内陸港があり、コンテナターミナルなど、海に面する港湾施設と変わらない機能があります。
オーストリア内では、特にヨーロッパの中央に位置するウィーンが、港から鉄道、トラックに積み替えてヨーロッパ各地へとつながる利便性を備えています。
海上コンテナのヨーロッパでの鉄道輸送については、「【第95回】ヨーロッパの中央に位置するドイツ物流の風景-その1」をご参照ください。
ヒトラーが何度も東欧の首脳と会談した、ザルツブルク郊外のクレスハイム宮殿。その最寄り駅では、海上コンテナの鉄道輸送の積み替え作業を見ることができます。
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ザルツブルク郊外のローカル駅。海上コンテナの鉄道輸送の積み替え作業(@YouTube) |
トラップ大佐、ホルティ提督、クレスハイム宮殿については、「【第101回】ヒトラーが欧州の信頼のおけない同盟国の首脳を迎えた場所」をご参照ください。
国際河川、ドナウ川の途上にあるウィーン港の役割
黒海から約2,000km、北海から約1,500kmの位置するウィーン港は、その中継地点としての役割が果たしています。
ライン・マイン・ドナウ運河の開通より、ドナウ川はライン川とも接続して、アントワープ、ロッテルダムとヨーロッパ有数の港とつながりました。
ライン・マイン・ドナウ運河は、戦間期の1920年代から着工の計画がありましたが、その計画も第二次世界大戦で中断。その後、1992年に開通しました。1992年は、運河が開通したこととは偶然かもしれませんが、現在のEU(欧州連合)の創立がマーストリヒト条約によって調印された年です。
20世紀の前半まで何度も戦争を繰り返してきたヨーロッパ。その反省から、その火種ともなっていたドイツとフランスの国境地帯にある「石炭と鉄鋼の共同管理」を、両国で共同管理をすることから始まったのがEUの起源です。現在、EU内では通貨はユーロで統一され(2002年から)、国境を超えても国境審査がなく国が変わったことにも気がつかないくらいです。
中学生の時の社会の授業で翌年に創設されるEUを習い、単一通貨ユーロが導入される前後の大学生時代にヨーロッパ旅行を始めた筆者にとって、政治、経済的なヨーロッパの統合というのは、リアルタイムで体験した国際情勢でした。島国の日本では味わえない変化を続けるヨーロッパに魅せられて今でも旅を続けているのかもしれません。
そのEUも21世紀に入り東欧諸国まで広がり、EUの中央付近に位置するウィーンは、鉄道、高速道路とのアクセスが良い交通の要所として、地政学的にも重要な都市となります。また、ウィーン港はウィーン空港も近いので、水路のみならず、陸路、空路とも相性が良いので注目されています。
ウィーン郊外の南東に位置するウィーン港は、主に3つの港湾地区から成り立っています。
・フロイデナウ港
ウィーン港、最大の港湾地区でコンテナターミナルがあり、ターミナルには鉄道も接続して、陸揚げされたヨーロッパ各地へと運ばれていきます。
・ロバウ港
石油製品を取り扱う石油港で、石油貯蔵施設を備え、毎年1,000隻のタンカーが停泊しています。
・アルバーン港
主に穀物を取り扱う港で、5つの大きな穀倉があります。
このロバウ港とアルバーン港はナチス時代に作られた港でした。
ナチスドイツが作った穀物港
1938年、オーストリアはドイツに併合(アンシュルス)された後、1939年初頭からドイツ帝国運輸省の主導の元、ウィーン港の港湾施設の拡張が進められました。
オーストリアは地下資源が豊富な国で、ウィーン盆地の油田、天然ガスの発掘が盛んです。現在でもオーストリアはエネルギー資源の3分の1を自国でまかなうことができると言われています。
ヒトラーには、ドイツ人は東部に土地を獲得して、自給自足をするという思想がありましました(東方生存圏)。当時、ソ連領で現在のウクライナの穀倉地帯はドイツへの食糧の供給基地と考えていました。ヒトラーは戦争に不可欠な油田、天然ガス、国民を養うための食料、それらを確保するための中継基地としてウィーンの港に目をつけます。
筆者はその1つ、穀物港のアルバーン港に足を運びました。
アルバーン港へのアクセスは、地下鉄(U3)の「Enkplatz駅」前から出ている76番のバスを使います。バスの終点(Alberner Hafen)がアルバーン港になります(所要時間、約30分弱)。
バスは街中を出ると、所々、工場の姿もありますが、田園風景が広がり、フロイデナウ港のコンテナターミナルも遠目に見ることができます。
バス停に着くと目の前が、アルバーン港です。バス停の裏にはドイツ鉄道の傘下でヨーロッパ最大の物流会社、DB SCHENKERがあり、トラックは頻繁に出入りする姿が見受けられます。
アルバーン港は、ドナウ川から引き込み線のようになった運河の左右に穀物倉が左側に1つ、右側に4つあります。
このアルバーン港は別名「愚かな港」とも呼ばれています。アルバーン港は、当時ウクライナなど、東欧のナチスドイツに支配された地域から、ドナウ川を通じて輸送された穀物の積み替え港として建設されました。そして、その建設するために強制労働させられた労働者がたくさんもいたのです。
左側の穀物倉の壁には、2010年から2013年の間、イタリアのアーティストによって、その労働者の苦しみを表現した絵が描かれていたそうです。
ヒトラーの野望は1945年で潰えますが、戦後、オーストリアはナチス時代に作られたこのアルバーン港、ロバウ港を引継ぎ運営していきます。ウィーンの街中には戦時中の高射砲塔を水族館として利用しているなど、ナチス時代の負の遺産でも、利用できるものは利用するという合理主義的な考え方が垣間見えます。街中にある高射砲塔に関しては、爆破すると周囲にも危害が及ぶので、破壊できなかったという事情もあるでしょうが、どちらも現在でも利用されていることにナチスドイツの技術力には驚かされます。
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ウィーンの街中にある、防空施設が水族館として再利用されている。(@YouTube) |
アルバーン港は港湾地区ですが、バスの車窓からみたフロイデナウ港含めて、周囲は緑が多く、日本の大都市の港湾地区のような工業地帯のイメージとはかけ離れます。アルバーン港周辺もサイクリングコースとなっていて自然と調和した印象を受けました。
本記事を執筆中の2023年10月現在、ウクライナ紛争は解決の糸口が見えなく、戦闘が続いています。ロシアもウクライナも港湾を持っていて、クリミア半島もある黒海は戦闘地域の一つです。黒海の最大の港湾都市であるウクライナのオデッサも大きな被害を受けています。
そのためヨーロッパ側の港として注目されているのが、ルーマニアのコンスタンツァ港です。ウクライナ紛争前から急速に港湾が発展していて、コンスタンツァ港から伸びるドナウ・国会運河によってドナウ川にもつながっており、それによりヨーロッパ各地へのアクセスが開けています。
また、2023年7月には、オーストリアで世界最大の天然ガスが発掘されたという報道が日本でもありました。ウクライナ紛争による天然ガスのロシア依存から脱するとして注目されています。
ヨーロッパの中央に位置する、ウィーン港の存在はますます重要になっていくはずです。
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【愚かな港】ヒトラーが内陸のウィーンに作ったアルバーン港(@YouTube) |
同シリーズが「ヒトラー 野望の地図帳」として書籍化
同シリーズが書籍化され、各書店の歴史の棚の世界史やドイツ史のコーナーに置かれています。web記事とは違う語り口で執筆していて、読者の方々からは、時代背景が簡潔でわかりやすい、学者とは違うテイストが新鮮、という感想をいただいております。
歴史好きはもちろん、ちょっとマニアックなヨーロッパ旅行をしたい方々の旅のお供になる本です。
著者名:サカイ ヒロマル
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