【第93回】ヒトラーに初めて栄誉勲章を与えられた街、コーブルク-その2|トピックスファロー

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2022年12月1日
【第93回】ヒトラーに初めて栄誉勲章を与えられた街、コーブルク-その2

ミュンヘン一揆から遡ること約1年前、イタリアのムッソリーニのローマ進駐に刺激されたヒトラーは、社会主義勢力が強いバイエルン州の古都コーブルクに党員を率いて乗り込みます。あまり知られていないコーブルク一揆とは?

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1922年10月15日、決闘、征服

④宮殿広場で乱闘
翌日、ヒトラー一行はコーブルクの郊外の山の上にある、コーブルク要塞まで行進する計画を立てていました。この要塞はドイツ最大の中世要塞で、そこに登頂することはコーブルクを支配下におく象徴と考えます。

その道中であるエーレンブルク城前の宮殿広場で、社会主義者がナチスを追い出す集会開催します。そこで乱闘になりますが、広場に集まった社会主義者達は当初より少ない数百人。千人以上の大所帯となったヒトラー一行の敵ではありませんでした。

宮殿広場宮殿広場

そして、コーブルクに着いた前日と違って、市民もヒトラー一行に好意的にみる空気が漂っていました。

その宮殿広場は、ヒトラーが前日演説したホーフブロイハウスの跡地のデパート「GALERIA Kaufhof」の前のモーレン通りをそのまま進み、突き当りでゲオルゲンガッセを進むとバス停がある広場に出ます。宮殿広場はその目の前です。

宮殿広場の高台に登ると見晴らしもよく、観光客の姿も目立ちます。

関連動画
ヒトラーに名誉勲章を与えられ街、コーブルク③
ヒトラーに名誉勲章を与えられ街、コーブルク③ 1922年10月15日 ヒトラー一向が社会主義者と決闘した広場(@YouTube)

⑤コーブルク要塞へ登頂
ヒトラーにとって敵地であったコーブルクは、1日でホームグランドに変化を遂げていきます。ヒトラーはそのダメ押しをはかるべく、コーブルク市内を一望できるコーブルク要塞へと行進していきました。

コーブルク要塞(Vest Coburg)へは、宮殿広場のエーレンブルク教会とは反対側のコーブルク劇場側の横にある坂道(オーベレ・クリンげ)を上っていきます。

「Vest Coburg」と案内表示が出ているので、道に迷うことはないかと思います。

聖アウグスティン教会が見えるので、教会の前の道(フェストトゥングス通り)を右側に進んだ方が近いです。そのまま上っていくと左側に閑静な住宅街、右側に森林豊かな公園を並行しています。しばらくすると、公園の入口が見えてくるので、そこを入り上っていくと、コーブルク要塞に到着できます。上がる道はいくつかありますが、どこを通っても要塞に辿り着けます。

聖アウグスティン教会を右に曲がる聖アウグスティン教会を右に曲がる

公園内公園内

登り道なので少し大変ですが、街中から徒歩15分~20分程度でコーブルク要塞に行くことができます。要塞は博物館になっていて、入場料を払って要塞内部を見学することができますが、要塞の外側だけなら自由に周れますし、雰囲気も味わえます。

当時のコーブルク一揆の写真はあまりないのですが、ナチスの党員(ヒトラーはいない)がコーブルク要塞の扉の前で撮影した集合写真があります。その場所は入口の城壁を潜って、右側に行くと広場になっているところにあります。

記念撮影をした扉記念撮影をした扉

コーブルクの街を望む要塞を登頂して、コーブルクもヒトラーの街となったのです。

コーブルク市内コーブルク市内

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ヒトラーに名誉勲章を与えられた街、コーブルク④
▼ナチス党員が記念撮影した場所
ヒトラーに名誉勲章を与えられた街、コーブルク④ 1922年10月15日、街を掌握してコーブルク要塞を占拠したヒトラー一向が記念撮影した門(@YouTube)
関連動画
プレミュンヘン一揆?が行われた、ヒトラーに名誉勲章をもらったコーブルク
▼コーブルク要塞から筆者が語っています
プレミュンヘン一揆?が行われた、ヒトラーに名誉勲章をもらったコーブルク(@YouTube)

コーブルク要塞登頂後、ヒトラーは再びコーブルク市内へ下ります。前日演説したホーフブロイハウスで再度演説をして、夜10時の列車でコーブルク駅からミュンヘンへ戻るのでした。

ヒトラーが何度も演説したホーフブロイハウスも今は普通のデパートヒトラーが何度も演説したホーフブロイハウスも今は普通のデパート

ヒトラーのコーブルク一揆から2週間、ムッソリーニもローマ進駐に成功、イタリアを手に入れました。

しかし、ヒトラーがドイツを手に入れるのはまだ先となります。

1年後の1923年、コーブルクでヒトラーたちが見せた行動をミュンヘンで行いますが、失敗して投獄。イタリア全土を手に入れたファシズムの先輩の前に、ヒトラーはバイエルン州すら手に入れることができませんでした。

ヒトラーは出所後、合法路線で戦う方針転換をしていくのです。

ミュンヘン一揆については、「【第67回】ミュンヘンでヒトラーの面影を追う旅4 ~ヒトラーの挫折編-その1~」、「【第67回】ミュンヘンでヒトラーの面影を追う旅4 ~ヒトラーの挫折編-その2~」もご参照ください。

その後のコーブルク

ヒトラーが政権を取る直前、コーブルク一揆からちょうど10年後の1932年10月15日、名誉勲章をコーブルク一揆に参加した党員に授与します。この日を「ドイツの日」と設定し、祝日とします。

コーブルクはヒトラーが政権を取る前に栄誉を与えられた街となります。

総統となったヒトラーは1935年10月19日、マルクト広場にある市庁舎で演説をします。政権を取る前からも度々コーブルクを訪問して、ホーフブロイハウスで選挙演説をしていましたが、総統となって訪問するのは初めてでした。

市庁舎市庁舎

ヒトラーと社会主義者達が一触即発になった、宮殿広場からすぐ近くのマルクト広場と市庁舎は観光名所となって観光客で賑わっています。

マルクト広場マルクト広場

ヒトラーから初めて栄誉を叙勲したコーブルク。今となっては触れたくない過去なのだと思われます。バイエルン州の小さいながらも歴史ある観光都市として、そのことを触れずに観光客を迎え入れてくれています。

観光客で賑わうコーブルク場観光客で賑わうコーブルク

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ヒトラーに名誉勲章を与えられた街、コーブルク⑤
ヒトラーに名誉勲章を与えられた街、コーブルク⑤ 受勲後の1935年、ヒトラーが演説した市庁舎(@YouTube)

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同シリーズが「ヒトラー 野望の地図帳」として書籍化

同シリーズが書籍化され、各書店の歴史の棚の世界史やドイツ史のコーナーに置かれています。web記事とは違う語り口で執筆していて、読者の方々からは、時代背景が簡潔でわかりやすい、学者とは違うテイストが新鮮、という感想をいただいております。

歴史好きはもちろん、ちょっとマニアックなヨーロッパ旅行をしたい方々の旅のお供になる本です。

ヒトラー 野望の地図帳

「ヒトラー 野望の地図帳」
著者名:サカイ ヒロマル
出版社:電波社     
価格 :1,512円(税込) 

【連載】ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡(第1回~第100回)

著者:ヒロマル

戦争遺跡ライター
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1979年神奈川県生まれ、神奈川県逗葉高校、代々木ゼミナールで1浪、立教大学経済学部卒業。

大学在学中からヨーロッパ、アジアなどを海外放浪してハマってしまい、そのまま新卒で就職せずフリーターをしながら続ける。その後、会社員生活をしながらも休み、転職の合間を利用して海外放浪を続ける。50ヶ国以上訪問。会社の休暇を利用して年に数回、渡欧して取材。

2012年からライター業を会社員との二足のわらじで開始。
2014年からwebメディア(株)フォークラスのTOPICS FAROで2つのシリーズを連載中。

▼もんちゃんねる(You Tube)
https://www.youtube.com/channel/UCN_pzlyTlo4wF7x-NuoHYRA

▼「ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/warruins
ヨーロッパ各地を取材し、第二次世界大戦に関する場所を紹介。
軍事用語などは極力省き、中学レベルの社会の知識があれば楽しめる記事にしています。
同シリーズが2017年に書籍化。
「ヒトラー 野望の地図帳」(電波社)から全国書店の世界史コーナーで発売中。

▼「受験に勝つ!世界史の勉強法」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/wh
2018年から主に世界史を中心とした文系の勉強方法について執筆。
大学受験だけでなく、大学生や社会人の大人の教養としての世界史の勉強方法にも触れて、
高校生、大学生、社会人とあらゆる世代を対象としています。

世間の文系離れを阻止して、文系の学問の復権に貢献することが、2つの連載の目的です。

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