「日本のシンドラー」と言われる杉原千畝
第2次世界大戦中、ナチスドイツの迫害を逃れてきたユダヤ人は、外国への逃亡を求めてリトアニアに集まっていました。
そんな人々はリトアニアの日本領事館にも押し寄せましたが、当時ドイツと同盟を結んでいた日本はビザ発行を許可しませんでした。
ところが、リトアニアの日本領事館の領事代理だった杉原氏は独断でビザを発行します。
その結果、6000人以上のユダヤ人の命を救うことができました。
この時発行されたビザは「命のビザ」と言われています。その功績は、多くのドラマや本で紹介されよく知られています。
なぜ、当時日本とほとんど接点がなかったリトアニアというヨーロッパの隅っこの小国へ杉原氏は赴任したのでしょうか?
1940年当時、ドイツとソ連は不可侵条約を結んで中立状態ではあったものの、独ソ戦が近いと噂されていました。杉原氏は、その独ソ戦の開戦時期を予測して日本へ報告するために、リトアニアの領事代理に就任したのです。
ドイツとソ連の間というリトアニアの地理的な位置が、情報を収集しやすかったのです。在任中、杉原氏はリトアニア中を歩き回り、リトアニアとドイツ国境地帯から入ってくるドイツ軍などの動向を日本本国へ報告していました。
日本人には馴染みが薄いリトアニアがあるバルト3国とは?
今もリトアニアがあるバルト3国は、ヨーロッパ、北欧、ロシアを結ぶ位置にあります。そのためにヨーロッパ、北欧、ロシアの文化が交差しているのがバルト3国なのです。そんなバルト3国の現代史を紹介します。
バルト3国は地理的環境から周辺国から圧力を受けやすく、近代においてはロシアの支配下にありました。第1次世界大戦後、ロシア革命に乗じてリトアニア、ラトビア、エストニアがそれぞれ独立国となりました。
しかし第2次世界大戦が勃発すると、独ソ間の秘密協定によってソ連領に組み込まれてしまいます。その後独ソ戦が始まりドイツが進出してきますが、ドイツの敗北により再びソ連領となります。
1990年代になってソ連のペレストロイカの影響を受けたバルト3国は独立機運が高まります。リトアニアを皮切りに、エストニア、ラトビアも独立を宣言。2004年にはEUにも加盟して、ロシアとヨーロッパの緩衝地帯として重要度が高まっています。
現代史においてはロシア(ソ連)の支配下にあった時期が長かったので、各地には当時の歴史を伝える博物館が数多くあります。
リトアニアの首都ビリュニュスには、1944年から1991年までソ連の秘密諜報機関KGBの本部が置かれていました。今ではその建物が「KGB博物館」として公開され、拷問に使われた施設などが展示されています。
エストニアの首都タリンには「占領博物館」があります。ソ連占領初期から独立回復までのドキュメンタリービデオが上映されています。独ソ戦の時、ナチスドイツによってエストニアがソ連から一時的に解放されます。エストニアへ進入してきたドイツ軍を花束を持って大歓迎する市民の写真があります。それは支配者がソ連からナチスに変わっただけだったのですが、当時のソ連に対するエストニア国民の感情がわかります。
どうやっていく?バルト3国
空路の場合
バルト3国へは日本からの直行便はありません。ヨーロッパ系の航空会社なら1度の乗り継ぎで各国の首都に着きます。
その中でもフィンランド航空がオススメです。
バルト3国はヨーロッパの右端に位置している以上、一度ヨーロッパ各国の首都へ着いた後逆戻りすることになるので、同日乗継ぎが非常に難しいです。バルト3国から近いフィンランドの首都ヘルシンキへ寄航するフィンランド航空を使うと、日本を出発した同日にバルト3国各国の首都に着くことが可能です。
陸路の場合
ポーランドから行く場合、ワルシャワやクラクフからバルト3国の諸都市へ向かうバスがあります。
ポーランドのワルシャワのユダヤ人ゲットーやアウシュビッツ強制収容所を見学する旅程(詳しくは、ヨーロッパで一番戦争遺跡が眠っている国、ポーランド編)に、杉原記念館があるリトアニアまで足を伸ばしてはいかがでしょうか?
ポーランドからリトアニアへ向かうバスの場合、杉原記念館のあるカウナス、首都のビリュニュスの順に停車します。
リトアニアのカウナスにある杉原記念館
カウナスという街に当時の日本領事館が杉原記念館として公開されています。
カウナスは首都のヴィリュニュスからバスで1時間半ほどの距離にあります。
両大戦間である1919~1940年の間はリトアニアの首都でした。街の中心部には首都の時代の旧大統領官邸もあり見学することができます。その時代に首都のカウナスに日本領事館が開設され、杉原千畝が領事代理を務めていました。
独立広場から延びる長い1本道であるライスヴェス通りがカウナスの目抜き通りとなります。その先は旧市街となり昔のカウナスの雰囲気を残しています。
杉原記念館は独立広場から伸びるライスヴェス通りとは反対側にあります。
カウナス駅に向かうヴィタウト大通りに面する公園内を歩き、階段を登っていくと杉原記念館に着きます。
ちなみにカウナス駅は、日本領事館が閉鎖され、杉原氏がリトアニアを離れる直前の列車の中までビザを書き続けた場所でもあります。そのシーンは再現されたドラマなどでは御馴染みなので、カウナス駅にも立ち寄って当時の情景を思い巡らせてもいかがでしょうか?
階段を上がるとカウナス市内が一望できます。階段を上がるとVAIZGANT通りになり、少し歩くと住宅街の中に杉原記念館があります。当時杉原記念館の前の道には、ビザを求めてやってきたユダヤ人の人垣ができていました。
館内は当時の執務室が再現されています。杉原氏が愛用していたタイプライター、万年筆、直筆のビザなどが展示されています。執務室では日本の国旗をバックに杉原氏の机に座り記念撮影をすることも可能です。別室では杉原氏の生涯をまとめたビデオを見ることもできます。
杉原記念館に置いてある訪問者が記帳するノートを見ると、カウナスはヨーロッパの隅っこにも関らず、毎日のように日本人旅行者が訪れているのがわかります。
杉原氏は帰国後、外務省からの命令に背いてビザを発給したとして解雇されてしまいます。しかし戦後、杉原氏のビザで命を助けてもらったユダヤ人の尽力によって当時の功績が見直され、杉原記念館が誕生しました。また、現在の首都ヴィリニュスにも杉原氏の名前がつけられた道があります。
住所:VAIZGANTO 30
休館日:なし
日本の岐阜県にもある杉原記念館
杉原氏の出身地、日本の岐阜県八百津町にも杉原記念館があります。
八百津町はとても静かな街ですが、街中の至るところに「杉原千畝 生誕の地」と書かれたのぼりが建っています。
八百津町の杉原記念館では、リトアニアの杉原記念館を再現したかのような展示室、執務室が見学できます。
お土産コーナーには杉原氏関連の出版物も売られています。
杉原記念館ホームページ(アクセス、開館時間の最新情報が掲載されています。)
http://www.town.yaotsu.lg.jp/contents/view.cfm?id=911&g1id=3&g2id=12
2015年公開映画「杉原千畝 スギハラ チウネ」
今までも何度か日本のテレビドラマにもなった杉原氏の物語ですが、2015年秋には俳優の唐沢寿明が杉原千畝を演じる映画が公開予定です。
撮影はポーランド全土で敢行し、杉原氏が第2次世界大戦中、ヨーロッパに勤務していたカウナス(リトアニア)、ブカレスト(ブルガリア)、ベルリン(ドイツ)など、ヨーロッパの各都市も映画に登場します。