【第74回】ミュンヘンでヒトラーに抵抗した市民の痕跡を巡る その1|トピックスファロー

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2019年3月6日
【第74回】ミュンヘンでヒトラーに抵抗した市民の痕跡を巡る その1

ナチスの発祥の地ミュンヘンは、ナチスの勢力が拡大した一方、ヒトラーに抵抗した市民も生みだします。有名なのはミュンヘン大学の反戦組織「白バラ」の一員だった学生のショル兄妹と、ヒトラーを暗殺しようとした家具職人ゲオルク・エルザーです。彼らのミュンヘンでの痕跡を追いました。

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白バラ抵抗運動とは?

白バラ抵抗運動とは、第二次世界大戦中の1942年~1943年にかけて、ミュンヘン大学の学生を中心に組織されたグループ「白いバラ」による反戦運動のことです。

主な反戦運動の活動方法として、ヒトラーやナチスの政策、戦争を批判するビラを作成して、南ドイツを中心とした各家庭をランダムに選んで匿名で郵送していました。そのビラの文体は、聖書、ゲーテやシラーなどの文学からの引用が用いられて、知識階級の高さがうかがえました。

ミュンヘン大学の構内にある白バラのビラのモチーフミュンヘン大学の構内にある白バラのビラのモチーフ

その白バラ抵抗運動の活動家の中で有名なのがショル兄妹です。妹のゾフィー・ショル、兄のハンス・ショルです。彼ら兄妹は、1943年2月18日、ミュンヘン大学の構内で白昼堂々とビラを巻いたのです。そして、その場で捕まり、ゲシュタポ(秘密警察)の取り調べ、裁判を受けて、同年2月22日、斬首刑で処刑されます。

ゾフィー・ショルゾフィー・ショル

ハンス・ショルハンス・ショル

ショル兄妹は、なぜ強硬な手段に出たのか

ショル兄妹が捕まった日は、ベルリンで東部戦線のスターリングラードの戦いの敗戦により、ドイツが深刻な状況に陥った惨状を訴える総力戦演説が行われていました。彼らはスターリングラードでの敗戦によるドイツの将来に業を煮やして、消極的な郵送によるビラ配りから、ビラをばら撒くという身の危険を顧みない行動に出たと思われます。

総力戦演説については、「独ソ戦の転換期となった街、スターリングラードを歩く その4」をご参照ください。

ショル兄妹は取り調べから裁判を通して、一切、弁解をすることなく、自分たちが行った行為の正当性を主張しました。それが現在でも多くの人に感銘を与え、ショル兄妹は白バラ抵抗運動の中でも象徴として語られます。彼ら兄妹の話は何度も映画化され、多くの本が出版され、何ヶ国語にも翻訳され世界中で読まれています。

日本で出版された白バラ事件の書籍日本で出版された白バラ事件の書籍

ショル兄妹の足跡を巡る

そんなショル兄妹の足跡を巡り、白バラ抵抗運動の顛末を紹介します。
まずはミュンヘンではなく、ウルム(ULM)という街を訪れたいと思います。

ウルムにあるショル兄弟が住んでいた家

兄のハンスは1918年9月22日、妹のゾフィーは1921年5月9日に生まれます。

父親ローベルト・ショルはナチスに懐疑的なリベラリストでしたが、ハンスもゾフィーも当初はナチスに魅せられた子供達でした。しかし、ハンスは実際にナチスの活動に参加して、派手なパフォーマンスや永遠と続く画一的な行進に疑念を抱くようになります。ゾフィーもリベラルな父親の影響を受けて、しだいにナチスと距離を置くようになったのでした。

そんなショル一家が過ごした家の建物が、ミュンヘンから列車で1時間ほどのウルムという街にあります。

ショル一家は1932年にウルムに引っ越してきます。その後、ミュンヘン大学へ進学したショル兄妹は処刑されるまで、何度もミュンヘン~ウルム間を列車で往復することになります。

ドナウ川沿いにあるウルムは、古くから交通の要所として栄え、大聖堂の世界一の高さを誇る尖塔は街のシンボルです。

尖塔の高さ、162メートルは世界一尖塔の高さ、162メートルは世界一

城壁から見えるドナウ川城壁から見えるドナウ川

ウルムは、ナチスに迫害され亡命した物理学者アルベルト・アインシュタイン、ドイツ軍人のクラウス・フォン・シュタウフェンベルクやエルウィン・ロンメルの出身地でもあります。ウルムという街を通じて、ヒトラーに抵抗した人たちが不思議な縁でつながっています。

ウルムへは、ロンメル将軍の最期の地とセットで周ることをオススメします。

ロンメル将軍については、「ドイツ軍の英雄、「砂漠の狐」と呼ばれたロンメル将軍の最期の地」をご参照ください。

観光案内所のアインシュタインの絵ハガキ観光案内所のアインシュタインの絵ハガキ

ウルム中央駅からショル一家の家への行き方

ウルム中央駅を降りた観光客は、大聖堂がある旧市街に向けてまっすぐ歩きますが、ショル一家の家は旧市街から外れたところにありました。

ウルム中央駅を出たら、並行して駅と並行している道があるので、その道を左側に進むとじきに右側にカーブしてオルガ通り(OlgaStraße)につながります。駅から15分くらい歩くと左側にカトリックの教会(St.George Ulm)が見えて、その裏側にショル家の家があります。

オルガ通りのカトリック教会。この建物がショル家の目印オルガ通りのカトリック教会。この建物がショル家の目印

ショル家があった建物と玄関ショル家があった建物と玄関

現在はアパートになっていて、玄関を入った入口に、ショル兄妹を説明する3つの展示文が飾られています。ショル一家が何階に住んでいたかまでは判明しませんでしたが、リベラルな家庭だったため、何度かゲシュタポが捕まえに訪問するシーンが、白バラ関連の本で描かれていることが多いです。

玄関にある展示玄関にある展示

ショル兄妹の写真ショル兄妹の写真

このアパートは、記念館になっているわけではないので、訪問した際は住人に方にも配慮してください。筆者が訪れた際は何人かの住人の方と遭遇しましたが、展示を見ている筆者に愛想よくしていただきました。今の住人の方々もショル兄妹にリスペクトの念を持っているのだと思います。

下の写真はショル一家の家のすぐ近くの交差点から撮影しました。交差点の名称は、ヴィリー・ブラント広場(Willy Brandt Platz)となっています。
ヴィリー・ブラントは、第二次世界大戦中は、反ナチスの運動家であり、戦後、西ドイツの首相としてナチスが侵略した東欧諸国との和解を進めてきました。ブラントの名前が付けられた交差点がショル一家の家のすぐ近くにあるのは必然かもしれません。

ヴィリー・ブラントについては、「ドイツ統一、ヨーロッパ統合とリューベックの関係を探る旅」をご参照ください。

ヴィリー・ブラント広場から見たショル家ヴィリー・ブラント広場から見たショル家(教会隣の工事中の建物の隣の建物にあります)

同じ角度から撮影した当時の写真同じ角度から撮影した当時の写真

住所:
OlgaStraße 139

また、大聖堂のすぐ近くの市庁舎前の広場は、ハンス・ショル広場と名付けられて、彼らを称えるガラスの碑があります。

市庁舎前のショル兄妹の碑市庁舎前のショル兄妹の碑

市庁舎とショル広場市庁舎とショル広場

次の「ミュンヘンでヒトラーに抵抗した市民の痕跡を巡る その2」ではミュンヘンへ行き、ショル兄妹の痕跡を紹介します。

【第74回】ミュンヘンでヒトラーに抵抗した市民の痕跡を巡る は、3ページ構成です。
続きは、以下のリンクをクリックしてください。


【第74回】ミュンヘンでヒトラーに抵抗した市民の痕跡を巡る その1
> 【第74回】ミュンヘンでヒトラーに抵抗した市民の痕跡を巡る その2
>> 【第74回】ミュンヘンでヒトラーに抵抗した市民の痕跡を巡る その3

【連載】ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡(第1回~第100回)
【連載】ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡(第101回~)

著者:ヒロマル

戦争遺跡ライター
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1979年神奈川県生まれ、神奈川県逗葉高校、代々木ゼミナールで1浪、立教大学経済学部卒業。

大学在学中からヨーロッパ、アジアなどを海外放浪してハマってしまい、そのまま新卒で就職せずフリーターをしながら続ける。その後、会社員生活をしながらも休み、転職の合間を利用して海外放浪を続ける。50ヶ国以上訪問。会社の休暇を利用して年に数回、渡欧して取材。

2012年からライター業を会社員との二足のわらじで開始。
2014年からwebメディア(株)フォークラスのTOPICS FAROで2つのシリーズを連載中。

▼もんちゃんねる(You Tube)
https://www.youtube.com/channel/UCN_pzlyTlo4wF7x-NuoHYRA

▼「ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/warruins
ヨーロッパ各地を取材し、第二次世界大戦に関する場所を紹介。
軍事用語などは極力省き、中学レベルの社会の知識があれば楽しめる記事にしています。
同シリーズが2017年に書籍化。
「ヒトラー 野望の地図帳」(電波社)から全国書店の世界史コーナーで発売中。

▼「受験に勝つ!世界史の勉強法」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/wh
2018年から主に世界史を中心とした文系の勉強方法について執筆。
大学受験だけでなく、大学生や社会人の大人の教養としての世界史の勉強方法にも触れて、
高校生、大学生、社会人とあらゆる世代を対象としています。

世間の文系離れを阻止して、文系の学問の復権に貢献することが、2つの連載の目的です。

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