【第98回】ヒトラーが子供の頃、一番輝いていた街、ランバッハ|トピックスファロー

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2023年9月27日
【第98回】ヒトラーが子供の頃、一番輝いていた街、ランバッハ

子供の頃のヒトラーが一番輝いていた時期と思われるランバッハ。この街では近所でカウボーイごっこに夢中になり、声楽隊と修道院に通い、その歌声を披露し、学業成績も良かったのです。

戦争遺跡ライター
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ヒトラーが4番目に過ごした街、ランバッハ

ブラウナウ、パッサウ、ハーフェルトと暮らし、4番目に住んだ街がランバッハです。ヒトラーが小学校低学年にあたる時代です。

父親アロイスは、ハーフェルトで税関の仕事を引退して、悠々自適な年金生活に入ります。農場を買って農業を営むことになりましたが、農業を手伝わせていた長男アロイス2世の家出もあり、1897年ヒトラー8歳の時に、ヒトラー一家はランバッハにやってきました。

ランバッハは当時既に開通していたリンツとザルツブルクの鉄道幹線上にあり、現在でもリンツとランバッハ間は鉄道で片道30分ほどです。

ヒトラーが声楽隊として通ったランバッハの修道院ヒトラーが声楽隊として通ったランバッハの修道院

世界で駅に一番近い?ヒトラーが住んだ家

筆者は朝に日本からウィーンに着いて、空港駅からオーストリア連邦国鉄の最上位特急列車レイルジェットでリンツまで行き、リンツでローカル列車に乗り換えて、ランバッハのローカル駅に降り立ちました。

ランバッハには、リンツ方面から「Lambach」駅、「Lambach mark」駅と続きますが、ヒトラー一家ゆかりの地は「Lambach mark」が最寄り駅になります。

「Lambach mark」駅「Lambach mark」駅

ランバッハに着いたのはお昼過ぎでした。日本のように湿気がないので、9月上旬にしては不快感がありませんが、直射日光が厳しくてお昼から夕方にかけては暑いです。
近年の日本も異常気象で9月に入っても残暑が厳しいですが、筆者が22年前(2001年)の同じ時期、オーストリアをはじめ、初めてヨーロッパを旅した大学生の時、涼しかった記憶しかないので、地球全体の気候が変わってきているのかもしれません。

ヒトラーが住んでいた家は駅から徒歩2分です。鉄道橋が掛かっている駅の坂道を下り最初の角を右にある建物です。

目の前には小川が流れている静かな場所です。ここならパッサウのようにヒトラーも溺れることはなかったでしょう。当時、隣には水車小屋もあったようです。入口の中庭に抜けるアーチ状の門の2階の窓がヒトラーの寝室でした。

ここはランバッハにやってきて2番目の家で、後ほど紹介しますが、最初の家は街の中心部のアパートでした。父親アロイスはハーフェルトで農園を営んでいたように土いじりをするのを好んでいたため、この駅近の自然に囲まれた一軒家に引っ越します。

冒険好きだったヒトラー少年も、家の周囲の自然環境を大いに堪能しました。ヒトラーは、西部開拓時代のアメリカのインディアンの世界が中核となっている冒険小説を書いているドイツ人の小説家カール・マイの作品が大好きでした。
そんなヒトラーにとって理想的な環境で、昼間は家に居つかず、カウボーイとインディアンごっこに興じて、いたずらっ子のリーダー格として、毎日冒険の世界に旅出ていました。

家の裏側家の裏側

後年、総統になり戦争を指導していた時、ヒトラーの戦略に消極的な将軍たちに、彼らこそカール・マイの小説を読んで勇気を持って行動するべきだと語っています。

現在、ヒトラー一家が住んでいた家は、若者に工芸教育を教えるための教育施設になっています。ヒトラー一家が住んでから100年以上経ちますが、ヒトラー親子が好んだ周囲の自然環境を利用した施設になっているのは、ランバッハの自然は当時と変わっていないということを表していると思いました。

ヒトラーの寝室の部屋の横の壁に工芸教室とペイントされているヒトラーの寝室の部屋の横の壁に工芸教室とペイントされている

また、寝室の窓から鉄道の橋がすぐ目の前に見えて、客車が蒸気機関車で率いられていく姿をヒトラーが見ていたと思うと、筆者も幼少の頃、駅の裏側で毎日、電車を眺めて電車好きになったのを思い出しました。しかし、ヒトラーは自動車には熱心に夢中になりましたが、鉄道に夢中になっていたというエピソードは聞きませんが・・・。

関連動画
世界で一番駅から近いヒトラーの家@ランバッハ
世界で一番駅から近いヒトラーの家@ランバッハ(@YouTube)

ヒトラーが声楽隊として通った修道院

街の中心部は、ヒトラー一家の家と反対の方向に坂道を登り、徒歩10分弱で着きます。
4つの道が交差する交差点になっています。駅から来た道から見て、右側がヒトラー一家が最初に住んだアパート、左側がヒトラーが声楽隊として通った修道院兼学校があります。前方にはリンツ付近から分岐するドナウ川の支流(トラウン川)が流れています。

リンツからの鉄道の線路はトラウン川と並行するように伸びています。

左側がヒトラー一家の家、右側が修道院方面左側がヒトラー一家の家、右側が修道院方面

ヒトラー一家がランバッハで最初に住んだ家は、当時も1階はレストランで、一家は3階に住んでいたと言われます。商店街もある街の中心部にあり便利な場所です。仕事を引退して農園を営むのが趣味だったアロイスはアパート暮らしは落ち着かなく、駅の近くの一軒家に引っ越すことになります。

現在も1階はレストラン現在も1階はレストラン

交差点を挟んで目の前にあるのが、1056年頃建てたられたベネティクト派の修道院です。学校も併設していて、ヒトラーは生徒として学校に通っていました。この距離なら朝が苦手なヒトラーも遅刻することはなかったでしょう。

ベネティクト派の修道院ベネティクト派の修道院

現在修道院は予約制の団体ツアーでしか中に入れないそうです。筆者は中庭だけ入ってきました。入って左側の2階が声楽隊として通った教室があり、勉学を励んだ学校は道を挟んだ反対側に建っていました。

修道院の中庭修道院の中庭

左側が学校の校舎があった場所左側が学校の校舎があった場所

学校での成績は優秀で、さらにベルンハルト・グレーナーが指導する修道院声楽隊学校にも通ったヒトラーの歌声はグレーナー神父にも良い印象を与えます。当時小学3年生だったヒトラー少年は優等生だったのです。

関連動画
ヒトラーが声楽隊として通ったベネディクト派修道院@ランバッハ
ヒトラーが声楽隊として通ったベネディクト派修道院@ランバッハ(@YouTube)

後に青年時代を過ごす大都市リンツでは、成績も落ちこぼれ退学することになりますが、ランバッハでのヒトラーの学校生活は充実していました。その理由は、ランバッハを訪問した筆者が現地で感じたのは、ランバッハでの周囲の環境が良かったからではないでしょうか。

トラウン川トラウン川

ランバッハの前に住んでいたハーフェルトで長男アロイス2世が家出をして、父親アロイスの重圧は残された唯一の男の子、ヒトラーにのしかかります。親子の亀裂が出始めたのも、この時期からでしょう。

しかし、静かな街で自然にも囲まれたランバッハの環境のおかげで、ヒトラーは大好きな冒険ごっこを思う存分楽しむことができました。また、生まれ持っての声を生かし、声楽隊としても活躍していたこともあり、修道院に親近感を持ち、後年、知人に当時、将来は聖職者になりたかった、と語りました。

ランバッハでは音楽にも目覚め、終生音楽に対して傾倒していきます。後にリンツで出会う親友グビツェクとの親交、政治家になってから毎年のようにワーグナーの聖地、バイロイト訪問など、ヒトラーと音楽は切っても切れない関係になっていくのです。

アロイスとの仲たがいが生じ始めたとはいえ、小学校3年生のヒトラーはランバッハでの生活を満喫していました。筆者も実際にランバッハを訪れて、トラウン川から見える修道院の壮大さ、こぢんまりとした中心部、街の外れにある小さな駅、ヒトラー一家が過ごした家の隣を流れる小川のせせらぎなど、とても気に入りました。ヒトラー取材じゃない普通の観光旅行なら、一泊してゆっくりしてみたいと思わせる街でした。

トラウン川から見た修道院トラウン川から見た修道院

しかし、アロイスはランバッハに物足りなさを感じ、リンツ郊外のレオンディングに引っ越すことになります。そして、徐々にヒトラーの中で葛藤が大きくなっていくのでした。

レオンディングについては、「【第32回】オーストリアの旅。ヒトラーの足跡を辿ってみる 少年時代編」をご参照ください。

ランバッハでヒトラーは運命の出会いもします。ヒトラーが毎日通った修道院の石の門の上に紋章がありました(現在ではありません)。それがナチスの党旗のデザインともなるハーゲンクロイツ型だったのです。

門の上に鉤十字の紋章があった。門の上に鉤十字の紋章があった。

2番目の家から修道院まで、ヒトラーが通った通学路の全行程を動画で公開しています。そちらもご参照ください。

関連動画
ヒトラーの道!小学校低学年のヒトラーの下校ルートを全公開@ランバッハ
ヒトラーの道!小学校低学年のヒトラーの下校ルートを全公開@ランバッハ(@YouTube)

同シリーズが「ヒトラー 野望の地図帳」として書籍化

同シリーズが書籍化され、各書店の歴史の棚の世界史やドイツ史のコーナーに置かれています。web記事とは違う語り口で執筆していて、読者の方々からは、時代背景が簡潔でわかりやすい、学者とは違うテイストが新鮮、という感想をいただいております。

歴史好きはもちろん、ちょっとマニアックなヨーロッパ旅行をしたい方々の旅のお供になる本です。

ヒトラー 野望の地図帳

「ヒトラー 野望の地図帳」
著者名:サカイ ヒロマル
出版社:電波社     
価格 :1,512円(税込) 

【連載】ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡(第1回~第100回)

著者:ヒロマル

戦争遺跡ライター
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1979年神奈川県生まれ、神奈川県逗葉高校、代々木ゼミナールで1浪、立教大学経済学部卒業。

大学在学中からヨーロッパ、アジアなどを海外放浪してハマってしまい、そのまま新卒で就職せずフリーターをしながら続ける。その後、会社員生活をしながらも休み、転職の合間を利用して海外放浪を続ける。50ヶ国以上訪問。会社の休暇を利用して年に数回、渡欧して取材。

2012年からライター業を会社員との二足のわらじで開始。
2014年からwebメディア(株)フォークラスのTOPICS FAROで2つのシリーズを連載中。

▼もんちゃんねる(You Tube)
https://www.youtube.com/channel/UCN_pzlyTlo4wF7x-NuoHYRA

▼「ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/warruins
ヨーロッパ各地を取材し、第二次世界大戦に関する場所を紹介。
軍事用語などは極力省き、中学レベルの社会の知識があれば楽しめる記事にしています。
同シリーズが2017年に書籍化。
「ヒトラー 野望の地図帳」(電波社)から全国書店の世界史コーナーで発売中。

▼「受験に勝つ!世界史の勉強法」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/wh
2018年から主に世界史を中心とした文系の勉強方法について執筆。
大学受験だけでなく、大学生や社会人の大人の教養としての世界史の勉強方法にも触れて、
高校生、大学生、社会人とあらゆる世代を対象としています。

世間の文系離れを阻止して、文系の学問の復権に貢献することが、2つの連載の目的です。

▼ご依頼、ご質問はこちらのメールまたはツイッターから
hiromaru_sakai@yahoo.co.jp
https://mobile.twitter.com/HIRO_warruins