【第99回】青年時代のヒトラーと親友グビツェクの友情 リンツ編-その1|トピックスファロー

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2023年9月29日
【第99回】青年時代のヒトラーと親友グビツェクの友情 リンツ編-その1

ヒトラー自身の著書「我が闘争」以外で、ヒトラーの青年時代を知ることができる本があります。それは、親友グビツェクの回想録。今回はそれを元に、ヒトラーの青年時代を追ってみました。

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ヒトラー唯一の親友グビツェクとは?

青年時代のヒトラーをよく知り、戦後、貴重な回想録を書いた人物がいます。その人物の名はアウグスト・グビツェク。

グビツェクはヒトラーが15歳の時、彼らが暮らしていたリンツで出会い、友情を深めていきました。

グビツェクは、ヒトラーより学年が1つ上で、現代日本でいえば高校に入学する前後の頃の出会いとなります。それから約4年弱、高校生から大学進学頃に相当する期間の青春時代、お互い唯一の友人として過ごしていきました。

20歳頃のグビツェク wikipediaより転載20歳頃のグビツェク wikipediaより転載

今回は筆者がグビツェクの回想録「アドルフ・ヒトラーの青春 親友グビツェクの回想と証言」(三交社 2005年出版)を元に、青春時代を過ごした2人に想いを寄せながら、彼らのゆかりの地を訪れ、筆者自身の人生と照らし合わせてみました。読者の皆さんも高校時代を思い出しながら、当時の彼らのイメージをして読んでいただければ幸いです。

動画でも現地の様子を撮影しているので、ぜひご覧いただければと思います。

グビツェクの回想録グビツェクの回想録

ヒトラーとグビツェクの出会い

グビツェクはリンツ市内で働く椅子張り職人の家に生まれました。将来、家の仕事を継ぐため、子供の頃から父親について、学業より椅子張りの仕事を優先して手伝っていました。

そんなグビツェクが9歳の時、ヴァイオリンをプレゼントされます。その時、彼の人生に「音楽」という新しい力が生活に入り込んだのです。グビツェクの家の近くには、歌劇場があり父親からもらう職人の給料としてもらうわずかな手当で、一番安い立ち見券を買い、何度もオペラを見に行っていました。

グビツェクは毎回、一階立見席の右側か左側の円柱の場所を確保しようとしました。しかし、右側の円柱の前はほぼ毎回、同じ先客がいたのです。その先客は華奢な身体で青白い顔をした同世代くらいのような青年でした。

その青年こそが15歳のヒトラーだったのです。

グビツェクの記憶によると、その同じ常連客、ヒトラーと初めて話したのが1904年の11月頃とのことでした。

そこからヒトラーとグビツェクの友情が始まります。

小学生の頃、ランバッハで声楽隊として音楽に目覚めていたヒトラー。自分以上にオペラに熱狂するヒトラーにグビツェクは惹かれていきます。

ヒトラーが子供の頃、一番輝いていた街、ランバッハ編」編もご参照ください。

この劇場は、リンツの中心部、ハウプト広場の近くでフォルクスガーデン歌劇場として現在でも営業しています。

フォルクスガーデン歌劇場フォルクスガーデン歌劇場

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性格が正反対のヒトラーとグビツェク

そうして音楽がきっかけで話すようになり親しくなったヒトラーとグビツェクの2人。

音楽という共通点もありましたが、性格は正反対でした。

グビツェクは穏やかな性格で、人の言いなりになりやすい従順な性格をしていました。
一方、ヒトラーは、極度に激しい性格で、どんな問題にも自分の意見を持っていて、それをいつもグビツェクの前で演説するのでした。

グビツェクは決して自分の意見を挟まず、ヒトラーの演説の情熱、内容に感心していました。そもそもヒトラー自身が自分の意見に異論を挟むことを許さなかったのです。

この頃には既にヒトラーの終生の人格が形成されていたのが垣間見えます。なにせ、最期、ソ連軍が迫るベルリンの地下壕でも、秘書に口述させた遺書には、全く反省の弁は見られなかっただけでなく、戦争に負けたのは、自分の理念を完結させるためには、ドイツ人がまだ未熟だったからだというような事を述べているくらいですから。

ヒトラーにとってグビツェクは、自分の主張を常に受け入れてくれる心地よい存在であり、グビツェクは辛抱強い聞き手として、その役割を楽しんでいたのでしょう。こうして、彼らの友情は不動のものとなってきました。

2人が散歩していた、リンツの目抜き通りラント通り2人が散歩していた、リンツの目抜き通りラント通り

お互いの家を行ったり来たりするヒトラーとグビツェク

ヒトラーとグビツェクはオペラに通うために、ヒトラーはグビツェクの家に頻繫に迎えに出向きました。グビツェクは、昼間は父親の椅子貼りの仕事を手伝っていました、ヒトラーは学校を落第して、今でいうフリーター、ニートのような生活を送っていました。

夜のオペラの開始時間が迫っているので、仕事が終わらないグビツェクに苛立つこともあったそうです。ヒトラーは食べるために仕事をすることを軽蔑していたのです。

オペラが終わるとお互いその感想を話し合うために、夜のリンツを散歩していました。劇場からヒトラーを送るためにフンボルト通りのヒトラーの家まで歩き、更に話が止まらず、劇場近くのグビツェクの家までヒトラーが送っていくということを繰り返していました。

当時、ヒトラーのスタイルとして片手に黒ステッキを必ずもっていたそうです。

グビツェクの家があったクラム通りからヒトラーの家のフンボルト通りまで、筆者も歩いてみましたが、徒歩30分くらいでした。その道中にはリンツの目抜き通り、ラント通りもあります(おそらくラント通りを通って往復していたことが多かったのでしょう。)

グビツェクの家があった付近グビツェクの家があった付近

現在、グビツェクの家があった住所のクラム通り 9(ビツェクの回想録「アドルフ・ヒトラーの青春 親友クビツェクの回想と証言」参照)は、当時の建物かはわかりませんが、住所は存在します。
現代ではレストランとして営業しているようです。劇場からは徒歩数分の距離になります。当時は1階が仕事場、2階に2部屋と台所からなるグビツェク一家の住居だったようです。

ヒトラー一家のリンツでの最初の家ヒトラー一家のリンツでの最初の家

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ヒトラーの青春を追う旅 リンツ編③ヒトラーの親友グビツェクの家?
ヒトラーの青春を追う旅 リンツ編③ヒトラーの親友グビツェクの家?(@YouTube)

グビツェクも頻繁に遊びに行ったヒトラーのフンボルト通りの家は、4階(3階という説も)にあり、ヒトラーの母親クララと妹パウラの寝室が通り側にあり、横の壁には亡きヒトラーの父親アロイスの写真がかけてあり、その隣の小部屋がヒトラーの部屋だったそうです。

グビツェクがヒトラーの家を訪問すると、母親クララはいつも喜んで歓迎してくれました。

息子ヒトラーに信頼できる友人ができたことをとても喜んでいたのでした。また、ヒトラーも度々グビツェクの家に遊びに行き、グビツェクの両親と仲良くして居心地がよかったのでした。

この入口を入って、グビツェクはヒトラーの家に遊びに行った。この入口を入って、グビツェクはヒトラーの家に遊びに行った。

フンボルト通りのヒトラー一家の家へのアクセスなどは、「【第32回】オーストリアの旅。ヒトラーの足跡を辿ってみる 少年時代編」をご参照ください。

関連動画
ヒトラーの青春を追う旅 リンツ編⑦ヒトラー一家が最初に住んだ家
ヒトラーの青春を追う旅 リンツ編⑦ヒトラー一家が最初に住んだ家(@YouTube)

「【第99回】青年時代のヒトラーと親友グビツェクの友情 リンツ編」は、3ページ構成です。
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【第99回】青年時代のヒトラーと親友グビツェクの友情 リンツ編-その1
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【連載】ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡(第1回~第100回)
【連載】ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡(第101回~)

著者:ヒロマル

戦争遺跡ライター
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1979年神奈川県生まれ、神奈川県逗葉高校、代々木ゼミナールで1浪、立教大学経済学部卒業。

大学在学中からヨーロッパ、アジアなどを海外放浪してハマってしまい、そのまま新卒で就職せずフリーターをしながら続ける。その後、会社員生活をしながらも休み、転職の合間を利用して海外放浪を続ける。50ヶ国以上訪問。会社の休暇を利用して年に数回、渡欧して取材。

2012年からライター業を会社員との二足のわらじで開始。
2014年からwebメディア(株)フォークラスのTOPICS FAROで2つのシリーズを連載中。

▼もんちゃんねる(You Tube)
https://www.youtube.com/channel/UCN_pzlyTlo4wF7x-NuoHYRA

▼「ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/warruins
ヨーロッパ各地を取材し、第二次世界大戦に関する場所を紹介。
軍事用語などは極力省き、中学レベルの社会の知識があれば楽しめる記事にしています。
同シリーズが2017年に書籍化。
「ヒトラー 野望の地図帳」(電波社)から全国書店の世界史コーナーで発売中。

▼「受験に勝つ!世界史の勉強法」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/wh
2018年から主に世界史を中心とした文系の勉強方法について執筆。
大学受験だけでなく、大学生や社会人の大人の教養としての世界史の勉強方法にも触れて、
高校生、大学生、社会人とあらゆる世代を対象としています。

世間の文系離れを阻止して、文系の学問の復権に貢献することが、2つの連載の目的です。

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