日系人部隊第442歩兵部連隊とは?
第2次世界大戦中、アメリカ国内の激しい反日感情によって、アメリカ在住の日系人が強制収容所生活を強いられていたことは、ご存知の方も多いと思います。 そんな彼らの中で若い男性達は、日系人の名誉回復のためにアメリカ軍に志願します。
収容されていた日系人の中から、志願兵で編成された部隊に第442歩兵部連隊があります。
彼らはアメリカ国内での反日感情を覆す目覚しい活躍をして、戦後、アメリカ国内での日系人の地位を上げました。
ブリュイエール(BRUYERES)の街とその周辺の高地で、1944年10月にドイツ軍とアメリカ軍の日系人部隊、第442歩兵部連隊の激しい戦闘が行われました。
大統領の命令によって442部隊に、ブリュイエール山中で孤立していたアメリカ軍、白人のエリート部隊、テキサス連隊を救出する任務が下されます。442部隊は救出された部隊の兵士の人数よりも、多くの死傷者を出す激戦の末、作戦を成功させます。
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#7 日系人部隊、442連隊が活躍した、フランスのボージュ山にある記念碑。命をかけて雪山を歩きました。(@YouTube) |
TBS開局60周年ドラマ「99年の愛」にも登場する戦い
2010年秋、5夜連続で放送された、明治時代にアメリカに渡った日系移民の1世と2世の家族の物語を描いた、TBS開局60周年ドラマ「99年の愛」にも442部隊は登場します。1世とその息子の2世の成人した姿を、SMAPの草薙剛が1人2役で演じていました。その2世が成人した時、戦争が始まり、草薙演じる一郎も442部隊に入隊。ヨーロッパ戦線に送り込まれます。ドラマでは、ブリュイエールの戦闘の最中に一郎は戦死します。
このドラマが放送された2010年10月、オバマ大統領によって、442部隊にアメリカの最高位勲章が送られました。また、翌月、日米合作のドキュメンタリー映画「442日系部隊、アメリカ史上最強の陸軍」も公開されました。
小説では、第442歩兵部連隊のブリュイエールの戦いを描いた『ブリエアの解放者たち(ドウス昌代著/文春文庫)』があります。著者のドウス昌代さんは、小説を執筆するにあたって、実際にブリュイエールに何日間も取材のために滞在しています。
どうやって行く?ブリュイエールへの行き方
ブリュイエールは、アルザス地方のボージュ県にある小さい街で、近隣の主要都市(メッス、ナンシー)から、日帰りで行くと良いと思います。メッス~ナンシー間は鉄道で約45分。ナンシーから鉄道で更に約45分ほどかかるエピナール(EPINAL)という街まで行きます。
エピナールからは鉄道かバスになります(冬季は時間帯によっては、バスが代行運転しています)。エピナール~ブリュイエール間は、バスだと約45分、鉄道だと約20分となります。また、アルザス地方の主要都市、ストラスブールからも日帰りは可能です。
宿泊施設がほとんどないブリュイエールの街
ブリュイエールはとても小さい街なので、日本で言う村の感覚になります。
駅から歩いて10分ほどの坂道を登るとメインストリートに出ます。教会、役場、郵便局、電話局がある一角が街の中心となり、小さなツーリストインフォメーションもあります。
宿泊施設はほとんどないので、ブリュイエールで宿泊することはオススメできません。
ドウス昌代さんが取材のために滞在し、小説にも登場してくる「ホテル・ルネサンス」は役場の向かい側にありますが、観光客が少ない冬季はクローズしています。しかし、ホテルの1階は、お酒やコーヒーが飲めるバーとして営業しています。
ブリュイエールの街はいくつかの高地に囲まれ、この一体の山中をボージュと呼びます。アメリカ軍の精鋭部隊テキサス連隊は、このボージュで孤立化し、日系人の442部隊が救出に向かい、戦闘は主に山中で繰り広げられました。
街の中心から5分ほど歩いたところに、日系人部隊の功績が称えられ、名付けられた「アメリカ陸軍歩兵第442部隊通り」があります。
また、中心部には、当時の戦闘による銃弾の跡が残っている建物もあります。ヨーロッパは日本よりも昔と現在の風景があまり変わらないところが多いので、歴史散策をするのは楽しいと思います。
当時の戦闘中も機能していたアディソン病院は、駅から坂道を上がって、町の中心部の反対の右側の道を歩けば着きます。
行くまでに442部隊の試練が体験できる442部隊の碑
442部隊通りを更に行くと山道になり、「第442連隊記念碑」があります。山道の入口にある「US MEMORY」の看板がそれを示す案内になります。街中にある地図では、442部隊通りからそんな遠くない距離に位置していますが、徒歩で片道30分ほどかかります・・・。
この雪山道にいて詳しくは、「戦争遺跡ライターが辿りつくのが難しいと感じた3つの戦跡編」
山道は舗装されておらず、行き交う人の姿もほとんどありません。道の両サイドには針葉樹が生えていて、TBSのドラマ「99年の愛」でも、このような山中で針葉樹の陰に隠れながら撃ち合う戦闘シーンが登場します。
山道の入口から歩いて30分ほどで、右手側に森の中にたたずむ「第442連隊記念碑」が見えてきます。夏はフランス国旗も翻っていますが、冬は外されています。
記念碑の位置には戦後、しばらくアメリカ軍の焼けただれた戦車が置かれていました。その周りに無数にあった弾痕のあるヘルメットが戦車の上に飾られて、現在の記念碑が建てられました。記念碑には、日系人兵士の名前も刻まれています。
第442部隊記念碑の中のに・・・・
「THAT LOYALITY TO ONE’S COUNTRY IS NOT MODIFIED BY RACIAL ORIGIN」
(国家への忠誠は人種によって変わることはない)
という一文が刻まれています。
太平洋戦争直前、国際連盟脱退の時の「サヨナラ演説」で有名な松岡洋右外務大臣、太平洋戦争開戦当時の首相、東条英機は、アメリカ国内の日系人に対して、次のメッセージを送ります。
「貴方達はアメリカ人なのだから、仮に日本とアメリカが戦争することになったら、
アメリカに忠誠を尽くして戦うのが武士道である。」
記録映画「442日系部隊、アメリカ史上最強の陸軍」の冒頭では、第442部隊記念碑の映像と共に、このメッセージが紹介されています。
山道の入口から記念碑まで往復する道のりは、まさに自分自身が、孤立化したテキサス連隊の兵士であり、その救出に向かった442部隊の兵士と錯覚してしまいそうになります。
夏は歩きやすいですが、冬は雪が積もり、日照時間も短いので、状況をみて無理はしないようにしましょう。