【第14回】昭和天皇も訪れた第1次世界大戦の激戦地「ヴェルダン」 |トピックスファロー

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2015年5月11日
【第14回】昭和天皇も訪れた第1次世界大戦の激戦地「ヴェルダン」 

フランスのヴェルダンという地名は、「第1次世界大戦の激戦地」、「843年のヴェルダン条約が結ばれた場所」として、世界史の教科書に2度登場します。それにも関らず 日本のガイドブックには一切紹介されていません。そんなヴェルダンの街を紹介します。

戦争遺跡ライター
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ヴェルダンの戦いまでの経緯

20世紀初め、バルカン半島のサラエボ事件を引き金に勃発した第1次世界大戦は、ヨーロッパを大惨禍に招きます。(詳しくは「第1次世界大戦の引き金となった、サラエボ事件を探る旅」編)
20世紀の科学技術の進歩により、何百万人もの死傷者を出してしまいます。
「戦争を終わらせる戦争」と言われるほどの大戦争となってしまいました。
第1次世界大戦の中で最大の激戦地と言われるのがヴェルダンの戦いです。
それまでの経緯を振り返ってみます。

シェリーフェン計画

第1次世界大戦が開始された当初、ドイツ軍は、西をフランス、東をロシアに挟まれていたため、二正面作戦を強いられます。
そのため、ドイツ軍参謀は、兵力の70%を西に、30%を東に置く計画を立てます。

ロシアは戦争準備にもたつくだろうから、 まず西側に主力兵力を置き、6週間ほどの短期決戦でフランスを叩いて、その後、西側の兵力をロシア側に向かわせる、という作戦でした。これが有名なドイツ軍の「シェリーフェン計画」です。

ドイツ軍は戦争開始と共にベルギーの平原、フランドル地方へ進入し、パリから50キロの地点まで到達します。しかし、フランスのマルヌの会戦でフランス軍に敗れてしまいます。それによって、短期決戦でフランスを片付けることは不可能となり、シェリーフェン計画は頓挫してしまいます。

塹壕戦

ドイツ軍のシェリーフェン計画が失敗に終わると、戦線が硬直化しフランスとドイツ国境付近は、北は北海から、南はスイス国境まで、塹壕が掘られます。その距離は約600キロ、東京~岡山間に相当しました。

その後、戦争はこの「塹壕戦」が基本となります。
塹壕線は、守り中心の膠着した戦いとなり、中々決着がつきませんでした。
両軍、無駄に戦死傷者が増えていき、戦場は累々たる屍で埋め尽くされてしまいます。

その数ある激戦地の中で、一番多くの戦死傷者を出したのが、フランスのロレーヌ地方での「ヴェルダンの戦い」(1916年2月~12月)です。
戦死者は両軍合わせて、70万、100万人にも上ると言われた戦いです。

ヴェルダンが激戦地となった経緯

(1)ドイツ側の事情
ヴェルダン付近でのフランス側の塹壕線が∩上に突出していました。そのため、ドイツ側は包囲ができるので攻撃しやすい。

(2)フランス側の事情
ヴェルダンは「パリの玄関口」と言われていました。攻略されたらパリまで遮るものがないので、なんとしても死守しなければならない。

(3)ドイツ、フランス側双方の共通事情
ヴェルダンという地名は、第1次世界大戦の激戦地以外にも「843年 ヴェルダン条約が結ばれた場所」と、世界史の教科書に記載があります。

中世ヨーロッパを支配していたフランク王国が分裂して、ヴェルダンで条約が結ばれました。その結果、東フランク(ドイツ)と西フランク(フランス)に別れることになります。これがドイツとフランスのはじまりです。

その後、ヴェルダンは、領土争いでドイツ領やフランス領になる歴史を繰り返してきたので、両国民の関心が高い街でした。
歴史的な由緒を考えてもヴェルダンは 両国とも譲れない場所だったのです。

どうやって行く?ヴェルダンまでの行き方

ヴェルダンから一番近い主要都市は、ロレーヌ地方の中心都市メッスになります。
パリからメッスまでTGVで1時間半ほどかかります。ヴェルダンはそのメッスからローカル線かバスで1時間半ほどの場所にあります。

ロレーヌ地方の鉄道のローカル線は本数が少ないので、季節や時間帯によってはバスが代行運転しています(メッス~ヴェルダン間の片道のバス代は9ユーロです。)。
また、パリからヴェルダンへのアクセスはよくないので、パリから日帰りで訪れることはあまりオススメできません。

日帰りで訪れる場合は、メッス、もしくはメッスから列車で50分ほどで着くルクセンブルグを拠点にすると良いと思います。

ヴェルダンのツーリストインフォメーション

ヴェルダンは中世の面影が残る小さな街のため、1時間もあれば徒歩で中心部を周ることができます。

ヴェルダンの街並みとムーズ川

ヴェルダンの街並みとムーズ
フランス国鉄のヴェルダンの駅前には、大型のショッピングモールがあり、地元の買い物客で賑わっています。いまや地方の街にショッピングモールができているのは、日本をはじめ世界的なトレンドとなりました。
駅から真っ直ぐ歩くとムーズ川に着きます。そのムーズ川の両側が、街の中心部となります。

ツーリストインフォメーションと5人の兵士の像

ツーリストインフォメーション5人の兵士の像
ムーズ川を渡ると、ツーリストインフォメーションと戦死者記念公園があります。その戦死者記念公園の前には5人の兵士の像があります。
ツーリストインフォメーションは観光パンフレットや古戦場の地図が充実していて、職員の方も親切に観光の相談に乗ってくれます。

フランス国内で唯一?のヴェルダンの英雄、ペタン将軍の像

ペタン将軍の像ツーリストインフォメーションの前には、ヴェルダンの英雄フィリップ・ペタン将軍の像が建っています。フランス軍は、ヴェルダンの戦いの途中からペタンを司令官に任命します。
「ON NE PASS PAS(ここは通れない)」を合言葉に、ペタンは攻撃より守りを得意とする軍人でした。

ペタン将軍の前にある5人の兵士の像はその「ON NE PASS PAS」を表現しています。それは、ヴェルダンが守りによって、陥落しなかったことを意味しています。

ペタンは、敵が突破してきた時に、わざと自軍を退却させ敵を充分に引き付けておいて、両脇から一気に攻撃をする縦深陣地戦術を取りました。

当初、フランスは守りに入らないで、攻撃に出る戦術を取り、苦戦していました。 ペタンの守りの戦術によってヴェルダンを防衛することに成功したのです。
攻撃よりも守りに入ったほうが、敵に損害を与えることができるというのが当時の戦争の常識でした。

しかし、英雄ペタンは20年後の第2次世界大戦では、売国野郎として、死刑判決(後に終身刑)を受けてしまいます。

第2次世界大戦でも再び、ペタンが司令官に任命され、ナチスドイツに立ち向かいます。しかし、時代は日進月歩進んでいました。
先の世界大戦と同じ戦術で戦ったために、ナチスドイツによる戦闘機と戦車が一体となった攻撃型の電撃戦に対して、フランスは有効な対策を立てることができず、降伏してしまいます。

その後、ペタンは、ナチスドイツによって樹立された新生フランス政府(ヴィシー政府)の首相に任命されます。
ヴィシー政府は、国体こそ独立国家で中立を守っていましたが、実質はナチスドイツに協力する傀儡政府でした。

戦時中、ナチスドイツと戦うためにロンドンに亡命して、レジスタンス組織「自由フランス」を創設したド・ゴール将軍によって、戦後、裏切り者として、死刑判決を受けることになるのです。

しかし、最近のフランスではヴィシー政府を再評価する傾向があるようです。
表向きはナチスドイツに協力しながら、上手く中立を守り、破壊が免れたおかげで、戦後のフランス社会の基盤ができたという見方もあるようです。

ヴェルダンの街にペタンの像があることは、ヴェルダンの戦いの英雄だからなのか、 もしくは、近年のヴィシー政府を再評価する動きによって、建てられたものなのかを考えさせられます。

激戦地となった高地へ行ってみよう

Qssuaire Natinal de Douamont(ドゥオモン納骨堂)

ヴェルダン中心部から北東に5キロほどのところに、激戦地であったドゥオモン要塞があります。
ヴェルダン市街からは、路線バスが出ていないので、タクシーか自家用車で行くしかありません。
タクシーだと中心街から所要時間:約15分、片道:約20ユーロ
兵士の墓 ドゥモン納骨堂
ドゥオモン要塞に近づくにつれ、広大な高地が十字架のお墓で埋め尽くされている光景が目に飛び込んできます。そして丘陵地帯の一番上まで行くと、建物の真ん中に縦に長い尖塔がそびえ建つドゥオモン納骨堂に着きます。

(冬季の公開される時間帯は、午後2時から5時までとなっています。)
入口には、ドウォモン納骨堂のオリジナルマグカップやキーホルダーが売られているお土産コーナーがあります。

納骨堂の内部 納骨堂の内部は、均等の間隔でろうそく台が置かれています。壁のタイルには戦死した兵士の氏名と誕生日、死亡日(死亡日のほとんどがヴェルダンの戦いがあった1916年)が掘られています。犠牲になった兵士に祈りを捧げる教会も併設されています。
その一方で、クリスマスシーズンにはクリスマスツリーも飾られます。内部全体はオレンジ色の光で照らされ、幻想的な雰囲気を醸しだしています。
鎮魂を祈る静寂な空間の中に、どこかお洒落な雰囲気も醸し出しているのです。

また、納骨堂の近くにはヴェルダンの戦いの記念館があります。
冬季はクローズされていますが、見学料は無料です。
この記念館は、交戦国であるフランスとドイツが共同で建てました。

戦争直後にヴェルダンを訪れた日本人達

そんなヴェルダンにまだ生々しい戦場の跡が残る戦争直後に訪問し、後に太平洋戦争のキーマンになる日本人達がいます。

皇太子時代の昭和天皇が訪れたヴェルダン

なんと、あの昭和天皇も皇太子時代にヴェルダンを訪問しているのです。
第1次世界大戦が終結した4年後の1922年当時、日本は大正時代でした。

近い将来の日本の皇帝として、裕仁皇太子(後の昭和天皇)は、見聞を広めるために生まれて初めての外遊でヨーロッパを訪問します。

訪問先は、イギリス、フランス、オランダ、ベルギー、イタリア。
最初の訪問国、イギリスで、国王のジョージ5世からフランス、ベルギー訪問の際は、世界大戦の戦跡を視察することを薦められます。

そして、フランス、オランダ、ベルギーでの外遊の合間に何度も戦跡を訪れているのです。その時の裕仁皇太子の案内役は先程紹介したヴェルダンの英雄、ペタン将軍でした。
裕仁皇太子一行がヴェルダンの高地を訪れた時は、戦争が終わって4年が経過していました。

それにも関らず、遺体収集に来た家族がいたり、突然、轟音が鳴響いて、不発弾が爆破することもありました。
裕仁皇太子は、戦争の生々しさが残っているヴェルダンを訪れ、 「実に悲惨の極みである」 と何度もつぶやいていたようです。
帰国後に起った関東大震災の時、裕仁皇太子は側近と共に馬に乗り東京中の被害状況を視察します。

太平洋戦争での東京大空襲の時も、お忍びでわずかな側近と共に東京の焼け跡を視察することになります。
3月10日の東京大空襲の時の視察は、自らの意思だったと言われていますが、皇太子時代にヨーロッパの戦跡を見た経験があったからではないでしょうか。(軍は、天皇が東京の焼け野原の惨状を見て、戦争を止めると言い出すのではないかと、懸念して視察には反対でした。)

軍人、水野広徳の人生を変えたヴェルダン視察

戦争が終わった1年後の1919年、日本の軍人、水野広徳がヴェルダンを訪れています。
水野は海軍の軍人で、元々軍人としての視察のために、ヨーロッパに来ていました。
しかし、戦場のあまりの悲惨さを目の辺りにして、帰国後、海軍を辞職して反戦家として活動します。
この時のヴェルダンの戦跡をこう記しています。

「ヴェルダン高地の頂上に立てば・・・・
 見るも悲惨、聞くも悲哀、誠に言語の外、
 村落は壊滅状態、田園は荒廃、家畜は死滅、
 戦車や車の残骸、累々たる屍、白骨化した兵士も無数」

水野自身が従軍していた10年前の日露戦争の時よりも、第1次世界大戦は、科学の発展により兵器が飛躍的に進化し、戦死傷者も増大していました。

そして、戦場において出先の軍隊同士の戦いによって決着がついていた戦争が、銃後の街や生活も巻き込んだ戦争になっていることに気がつきます。

水野はそんな惨状をみて、これ以上の戦争になったら国が破綻してしまう、と考えるようになります。
当時、日本の国際関係では、移民問題などで、アメリカときな臭い関係になり始めていました。
また、これからの戦争は飛行機同士の戦いが主流になると言われていました。
軍人だった水野は、それらのことも当然認識していて今度の日本の戦争は、アメリカとの航空戦になると予想します。

そして、日本国民に警告するために、水野が自らアメリカとの戦争を予想したフィクション小説や、空襲される日本の都市の絵を書きます。
しかし、そんな水野も太平洋戦争直前に活動を禁じられてしまいます。

ヴェルダンの戦跡は、日本の歴史を変えた?

昭和天皇も太平洋戦争終盤になり、軍部の話に疑問をもつようになりました。
お忍びで使者に国内の状況を視察させたり、東京大空襲跡を自ら視察したことも、終戦を決意させる材料だったと言われています。

その空襲跡を見るという意志も、皇太子時代、ヴェルダンなどのヨーロッパの戦跡を視察したことが無関係ではないはずです。
また、軍人だった水野もヴェルダン訪問によって、人生が180度変わりました。
志半ばになってしまいましたが、日本が当時、進んでいた軍国主義への道に一貫して反対するようになりました。

日本の世界史の教科書には載っているのに、 日本のガイドブックに乗っていないフランスのヴェルダン。
そんなヴェルダンは、日本の頂点に君臨する人の視野を深めて、戦争終結の判断材料のけっかけにもなり、また、1人の日本の軍人の人生を変えた場所だと思うと、とても感慨深いです。
ぜひ、フランス旅行の際は、ヴェルダンにも立ち寄ってみてください。

【連載ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡

著者:HIRO

戦争遺跡ライター
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ヨーロッパ各地の世界大戦の戦争遺跡を周って取材しています。
だから、戦争遺跡ライターです。
学生時代から、事件、事故現場、戦争跡地を野次馬のように行くダークツーリズムラー。
特にヒトラー、ナチスなど、第2次世界大戦のヨーロッパ戦線に関することが一番好き。
しかし、重いテーマの旅をしているかというと、旅行先では美味しいご当地グルメを堪能して、お酒を飲んでいます。時には道に迷ってテンパったり、ヨーロッパの街並みに感動したりと、見かけはヨーロッパが大好きな普通の旅行者です。

ニコニコ動画
「ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡」シリーズを
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