【第16回】ヨーロッパ大陸から最も近いイギリスの港町ドーバーを歩く|トピックスファロー

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2015年7月31日
【第16回】ヨーロッパ大陸から最も近いイギリスの港町ドーバーを歩く

「奇跡の撤退作戦が行われたフランスの港町、ダンケルク編」でダンケルクの街を紹介しました。そのダンケルクから撤退した兵士を受け入れた先が、ロンドンの南西部に位置する、ヨーロッパ大陸に最も近い場所にあるイギリスの都市ドーバーです。

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ドーバーに行く方法は?アクセスの方法

ドーバーは、ヨーロッパ大陸とイギリス本土を結ぶ交通の要所として、古くから栄えてきました。近年は、飛行機の発達やユーロトンネルの開通により、イギリスの表玄関とは呼べなくなったかもしれませんが、今でもフランスへ渡る主要な港の一つです。

【1】

列車から見えるドーバーの風景
ロンドンのセント・パングラス駅から「HIGH SPEED」というイギリス版の新幹線に乗れば、1時間ほどで着きます。
バスは、ロンドンのヴィクトリア・コーチステーションから1時間に1本の割合で出ています。2時間半ほどかかりますが、列車より安く行くことができます。

【2】
「HIGH SPEED」セント・パングラス駅にて
【3】
「HIGH SPEED」車内(日本の新幹線のように席の背を後ろにすることができない。)
【4】
ドーバー駅

カレーやダンケルクといったフランスの港町まで約50キロほどの距離があり、それらを結ぶフェリーも運航しています。フェリーは車も運搬することが可能なので、車でヨーロッパを旅行する人に重宝されています。
また、当時の撤退作戦のルートの通りに、ドーバー海峡を渡りダンケルクからドーバーに向かうのも面白いかもしれません。

【5】
フェリーターミナル

ドーバーの歴史がわかるドーバー博物館

ドーバーは小さい街ですが、街の中心、マーケット・スクエアに面している場所にドーバー博物館があります。
石器時代から第2次世界大戦までのドーバーに関する歴史博物館のようになっています。

第2次世界大戦のコーナーでは、ダンケルク撤退作戦の時のフィルムが上映され、着の身着のままでドーバーに帰還した連合軍の兵士の姿などが映し出されています。また、戦時中にドーバーを視察するチャーチル首相の写真もあります。
ドーバー博物館には、ツーリストインフォメーション、お土産屋さんも併設されています。

【6】
博物館内
【7】
視察するチャーチル

住所:MARKET SQ.,CT16 1PB
料金: 3.5ポンド(学割2.5ポンド)
言語:英語
開館:9:30-17:00(日曜は9:30-17:00)
休館:10-3月の日曜、1/1,1/25,26

ダイナモ作戦の時の司令室があるドーバー城

街の中心にあるドーバー博物館から、東側の山の上にドーバー城があります。敷地内には、ローマ人によって建てられた灯台や、中世に掘られた地下トンネルなどがあります。また、第2次世界大戦中に掘られたトンネルもあり、そこに司令室が置かれ、ダンケルク撤退作戦(ダイナモ作戦)が指揮されていました。司令官だったイギリス海軍のラムゼイ提督の像もあります。

【8】
ドーバー城
【9】
ドーバー城までの坂道

住所:DOVER CASTLE, CT16 1HU
料金:16.5ポンド(学割14.9ポンド)
開館期間:2月中旬から10月までは土日のみの開館

ホワイトクリフ

イギリスの南海岸地方には、ドーバー海峡が見渡せる白亜の崖と呼ばれる美しい景観があります。ドーバーにも街の中心から20分ほど東側に歩くと、「ホワイトクリフ」と呼ばれる白亜の断崖があり、ハイキングコースとなっています。その崖の上は牧場になっています。

【10】
フェリーターミナル付近から見たホワイトクリフ
【11】
ホワイトクリフの上からの風景
【12】
牧場

ロンドンにある空軍博物館のバトル・オブ・ブリテン館には、南海岸地方の白亜の壁をバックに、イギリス軍とドイツ軍の戦闘機による空中戦の映像が上映されています。 そのホワイトクリフからは、イーストドックが見えます。このイーストドックからダンケルクに行くフェリーが発着しています。ダンケルク撤退作戦の時にも使われていたドックだと思います。

【12-1】

当時、港では、着の身着のままでダンケルクから撤退してきた兵士が、英雄としてドーバー市民から暖かく迎えられます。彼らにはドーバーの若い娘達からココアとビスケットが配られました。
ドーバー市民による兵士を歓迎するシーンや、イギリス軍とドイツ軍の空中戦を妄想しながら、ドーバー海峡を横目にハイキングすることができます。

【13】
イーストドック
【14】
イーストドック
【15】
イーストドック

また、ドーバーの街中には、港町らしくパブがたくさんあります。当時のパブではダンケルクから撤退してきた兵士に無料でビールが支給されました。兵士になった気分で、パブでビールを1杯飲むのもいかがでしょうか。

【16】
パブで一杯、ドーバーのパブは海の男が多いのもありスロットマシーンが多い

第2次世界大戦中ドイツ軍は、対岸のフランスのカレー半島の鉄道線路から列車砲でドーバーを攻撃していました。さすがに肉眼ではヨーロッパ大陸を確認することはできませんが、ホワイトクリフからドーバー海峡を眺めていると、改めてヨーロッパ戦線は、交戦国同士が地理的に近かったんだなと実感することができます。

【17】
さすがにフランスは肉眼では見えない・・・

ヨーロッパは、交戦国同士が地理的に近いために都市の破壊が熾烈だった。

太平洋戦線の場合は、広い太平洋で日本軍とアメリカ軍が戦いました。戦争初期は日本軍が優勢でしたが、次第に劣勢になっていき、太平洋の島々を奪い返されてしまいます。戦争末期、サイパン島が陥落して、日本本土へB29での攻撃が直接可能となり、日本本土も空襲にさらされるようになりました。

ヨーロッパの場合、イギリス本土からドイツ西部のルール工業地帯まで300~400キロ程の距離しかありません。ドイツ空軍がイギリス本土を襲ったバトル・オブ・ブリテンの最中も、イギリス軍はドイツ軍の攻撃に対して防戦するだけではありませんでした。

【18】

イギリス軍は、イギリス本土から近いエッセンやドルトムントといった、ドイツのルール工業地域への嫌がらせ爆撃も行っていました。時には、更に東にある首都のベルリンまで飛んでいき爆撃も行っていました。
ロンドンが空襲された翌日は、報復にベルリンを空襲。戦争初期からそんなことが繰り返されていました。

日本の場合、日本本土の各都市が空襲され始めたのは戦争末期の10ヶ月程です。しかし、ドイツの場合は、優勢に立っていた戦争初期からイギリス空軍の嫌がらせ爆撃を受けていました。アメリカが参戦した中盤以降はドイツへの爆撃は更に強力になります。ドイツの各都市は、戦争初期から終戦までの5年間、空襲され続け、焼け野原となってしまいました。ドイツに落とされた爆弾の量は、日本に落とされた爆弾の量よりはるかに多かったのです。

【19】

第1次世界大戦で飛行機が初めて実用化されました。その後の戦間期において、世界の航空技術が飛躍的に進歩します。そして、第2次世界大戦では戦闘機や爆撃機が主要戦力となり、世界各国の都市が焼け野原となってしまいます。それが特に酷かったのが、各国が地理的に近い位置にあるヨーロッパ戦線だったのです。

【20】
フランスに行くためにヒッチハイクする若者
【21】
フィッシュ&チップス(ロンドンよりも安い)
【連載ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡

著者:HIRO

戦争遺跡ライター
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ヨーロッパ各地の世界大戦の戦争遺跡を周って取材しています。
だから、戦争遺跡ライターです。
学生時代から、事件、事故現場、戦争跡地を野次馬のように行くダークツーリズムラー。
特にヒトラー、ナチスなど、第2次世界大戦のヨーロッパ戦線に関することが一番好き。
しかし、重いテーマの旅をしているかというと、旅行先では美味しいご当地グルメを堪能して、お酒を飲んでいます。時には道に迷ってテンパったり、ヨーロッパの街並みに感動したりと、見かけはヨーロッパが大好きな普通の旅行者です。

ニコニコ動画
「ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡」シリーズを
ダークリズム・ジャパンのニコニコ動画にも寄稿しています。
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