バルト海と北海を最短距離で結ぶキール運河
ドイツの北部のデンマークと国境を接するユトランド半島には、世界三大運河の一つと言われる「キール運河」(北海バルト運河)があります。運河とは「船舶の移動のために作られた人工的に造られた水路」のことで、キール運河は北海とバルト海を結ぶ運河です。
1895年に開通したキール運河は、全長は約100km近くで、ライン川同様に全ての国籍の船に通行権が与えられる国際運河となります。
キール運河ができるまでは北海とバルト海間を結ぶには、ユトランド半島を大きく迂回する必要がありました。しかし、キール運河の開通によって、通行料は徴収されるものの、短期間の運行が可能となったのです。もちろん国際海上コンテナ船も通過することができます。
キール運河にかかる技術遺産、レンツブルク鉄道橋
ハンブルクからデンマークに通じる鉄道路線は、キール運河をまたぐ鉄道橋として、レンツブルク鉄道橋があります。
橋は技術遺産にも登録されていて、大型船でも通れるように設計されています。運河から橋の高さはなんと約42mもあって、その高さに驚く人も多いでしょう。
筆者も実際に電車に乗ってこの橋を渡りました。
ハンブルクからデンマークとの国境の街、フレンスブルク(※)に向かう途中に、この鉄道橋を通るのですが、最初は外の様子に気づきませんでした。しかし、乗車中、目の端に映る外の風景に違和感を覚えてふとそちらに目をやると、驚くことに車窓からの眺めががらりと変わっていたのです。ヨーロッパでは郊外で日本ほど列車が高架橋を走る区間は少ないのですが、その時、電車は家の屋根より高い位置を走っていました。
運河の上を通りながら見える眼下に広がる風景は一見の価値があると思います。
※フレンスブルクについては「【第91回】ナチスドイツ終焉の地、デンマークとの国境にあるフレンスブルク」をご参照ください。
動画は、帰りのレンツブルクからハンブルク方面へのものです。
関連動画 |
【Rendsburg Transporter Bridge】バルト海と北海を結ぶキール運河にかかるレンツブルク鉄道橋(@YouTube) |
恥ずかしながら筆者はこの時キール運河、レンツブルク鉄橋の存在を知らなかったので、列車内でスマホのグーグル地図で現在地から推測して存在を知ることができました。
なお、ハンブルク方面からレンツブルク鉄道橋を渡ると最初の停車駅、レンツブルク駅までは、スロープ型(斜路))の勾配があります。レンツブルク鉄道橋まで一直線で通すとなると急斜面になるためこのような設計になったのでしょう。鉄道橋の下には日本では見られない、人と車を乗せて動く運搬橋もあるので、今度はぜひレンツブルク鉄道橋を散策してみたいと思います。
ロシア政府が開拓を進める北極ルート
日本を始め、東アジアとヨーロッパの海上輸送ルートはマラッカ海峡やスエズ運河を通る南周り航路がメインです。
近年、南周り航路に代わるルートとして、ロシアの北側の北極海航路が注目されています。北極海は海氷の水域のため、大型の船は通行が困難でしたが、昨今の温暖化現象により氷が溶け始めて、新たなルートとして浮上してきたのです。通常、南周り航路だと東アジアーヨーロッパは約1ヶ月かかりますが、北極海航路はその6割の日数で輸送が可能になります。
MSC(スイス)と共に2Mと呼ばれる世界最大の船社
しかし、2022年から始まったロシアによるウクライナ侵攻によって、ロシアは世界的に孤立しているため、その実現は遠のいてしまっている感じがします。
そんな状況でもロシア政府は、海水の氷を砕きながら進む砕氷船のエスコートによる、耐氷の原子力コンテナ船「Sevmorput」を2023年の夏から運行を開始させる予定です。ロシア国内の輸送で北極海航路を積極的に活用するよう、2035年までに補助金として約78万ルーブルを投資する計画を立てています。
東アジアからヨーロッパへの北極海航路は、国際情勢により頓挫した感がありますが、ロシア国内ではその土壌が完成しつつあります。北極海航路が開通すれば、ユトランド半島のキール運河を通る、バルト三国、北欧や、本シリーズでも紹介した第二次世界大戦の海戦の激戦地、鉄鉱石の輸出港、北極圏のナルヴィクが日本と近づくことになります。
下記もあわせてご参照ください。
【第60回】北欧戦跡の旅4:ヒトラーが初めて敗れた、ナルヴィクの戦い-その1
【第60回】北欧戦跡の旅4:ヒトラーが初めて敗れた、ナルヴィクの戦い-その2
【第60回】北欧戦跡の旅4:ヒトラーが初めて敗れた、ナルヴィクの戦い-その3
ヒトラーも貿易業界に進むはずだった?
ヒトラーが画家を志していたことは有名な話ですが、ヒトラーの父親(アロイス・ヒトラー)はオーストリア・ハンガリー帝国の税関職員で、ヒトラーにも跡を継がせたかったことはあまり知られていません。
税関は昔から世界中で儲けられた海外とのモノ、ヒトとの往来を管理する機関です。貿易、国際物流の根源とも言える機関となります。
ヒトラーの出生地であるブラウナウはドイツとオーストリアの国境の街です。アロイスはこの国境街で、税関職員として勤めていました。その後、ヒトラー家は国境街、パッサウ、現在、国際河川の一つであるドナウ川湖畔のリンツなど、国際物流の重要な都市を転々としています。
アロイスの職場は橋を渡ったドイツ側にあったようだ
ブラウナウについては「【第32回】オーストリアの旅。ヒトラーの足跡を辿ってみる 少年時代編」をご参照ください。
しかし、自由奔放に行きたい少年ヒトラーは、父親のお堅い税関職員という公僕という職業を大変嫌がっていました。リンツではアロイスが息子アドルフに職場見学に連れて行ったそうですが、興味を示さなかったようです。
もし、ヒトラーが父親の跡を継いで税関職員になって、貿易業界に身をおいていたら、第二次世界大戦は勃発したのか興味があるところですが、人生、歴史は何がきっかけで大きく動くかわかりません。
今後、本シリーズでは、第二次世界大戦のヨーロッパの史跡を追いつつ、この分野とヒトラーの父親アロイスと同業者(?)である筆者の勤め人としての生業である国際物流との整合性の研究、また、国内外問わず物流現場の現地取材もおこなっていければと考えています。
<【第95回】ヨーロッパの中央に位置するドイツ物流の風景-その1
【第95回】ヨーロッパの中央に位置するドイツ物流の風景-その2
同シリーズが「ヒトラー 野望の地図帳」として書籍化
同シリーズが書籍化され、各書店の歴史の棚の世界史やドイツ史のコーナーに置かれています。web記事とは違う語り口で執筆していて、読者の方々からは、時代背景が簡潔でわかりやすい、学者とは違うテイストが新鮮、という感想をいただいております。
歴史好きはもちろん、ちょっとマニアックなヨーロッパ旅行をしたい方々の旅のお供になる本です。
著者名:サカイ ヒロマル
出版社:電波社
価格 :1,512円(税込)