【第13回】奇跡の撤退作戦が行われたフランスの港町、ダンケルク|トピックスファロー

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2015年4月28日
【第13回】奇跡の撤退作戦が行われたフランスの港町、ダンケルク

第2次世界大戦初期の1940年5月、ベルギーとの国境が近いフランス北部の港町ダンケルク。ドイツ軍に追い詰められた約33万人のイギリス軍とフランス軍の兵士をイギリス本土に撤退させた、奇跡が起った街です。ダンケルクへその痕跡を訪れてみましょう。

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ダンケルクの奇跡まで

1939年9月、ドイツがポーランドに侵攻し、ポーランドと同盟を結んでいたイギリス、フランスがドイツに宣戦布告して始まった第2次世界大戦。
1940年5月には、ドイツ軍は、オランダ、ベルギー、フランスへ侵攻を開始します。
ベルギーは、北部はフランドル地方の平原、南部はアルデンヌの森と呼ばれる深い山林に覆われています。

しかし、ドイツ軍は、敵・ベルギー軍の防御が手薄な、大規模な軍隊が侵攻不可能と思われてたアルデンヌの森を通って、フランスへ侵攻するという奇襲作戦を成功させます。

勢いに乗ったドイツ軍の主力部隊は怒涛のようにドーバー海峡まで達し、フランドル地方にいたイギリス・フランス連合軍を囲み、孤立状態にします。
あとはイギリス本土に逃げるしかありません。追いつめられたイギリス・フランス軍の兵士が、ベルギーとの国境に近いダンケルクという港町に集まってきました。

1940年5月24日から6月3日まで、ラムゼー提督の指揮によって、イギリスの海岸の街、ドーバーのドーバー城を司令室にして撤退作戦が始まります(ダイナモ作戦)。
(ドーバーについては、「ヨーロッパ大陸から最も近いイギリスの港町ドーバーを歩く
編」)イギリスの軍、民間、大小問わず、あらゆる船が動員され、約33万の兵士がイギリス本土へ撤退することができました。

【1】

ヒトラーの謎の攻撃停止命令

その撤退が成功したダイナモ作戦は「ダンケルクの奇跡」とも呼ばれています。
この「ダンケルクの奇跡」が起った要因のひとつに、イギリス、フランス軍を追い詰めたドイツ軍が、ヒトラーの命令によって、攻撃を停止してしまったことがあります。
その理由は、今でも議論されていて2つの説があります。

(1)敗走してきた惨めな姿のイギリス軍兵士を本国に帰すことによって、イギリス国民の士気を低下させる政治的策略。

(2)西部戦線での戦いは既に主導権を握ったので、敗走兵を追うよりも、主力部隊をパリに向けてフランスに早く止めを刺す軍事的策略
【2】

どうやって行く?ダンケルク

・ベルギーのブリュッセルから行く場合
ベルギー国内からは、ダンケルクへは直通列車はありません。ベルギーとフランスの国境地帯にある街、ダ・パンヌ(DA PANNE)まで列車で行きます(約2時間、1時間に1本ほど)。ダ・パンヌからバスに乗り、約40分ほどでフランス国鉄のダンケルク駅前に到着します。(片道1.4ユーロ 1時間に1本ほど、路線の色は赤)。

【3】

地図上では海岸沿いの街を通りますが、バスの車窓から海は一切見えません。
路線バスで国境を越えますが、国境を越えたのに全く気がづかないと思います。
ちなみに、国境の停留場名はその名の通り、「FRONTIER」です。
EUのシェンゲン協定に加盟している国同士では、パスポートコントロールは一切ありません。
過去、これだけ戦争を繰り返した歴史があるにも関らず、国境が形骸化しているヨーロッパを実感できます。

【4】

・パリから行く場合
パリ北駅から1時間に1本の割合でTGVの直通列車がダンケルクまで出ています(所要時間は、1時間40分~2時間10分)。
また、イギリスの港町ドーバーからフェリーの定期便(片道1時間半ほど)も出ています。

ドーバーは、ダンケルクから撤退した兵士を受け入れた先となった港です。
ダンケルク撤退作戦の経路をフェリーで辿ってみるのも面白いかもしれません。
この越境区間は、ヒッチハイクしている旅行者も多いので、運がよければ車に乗せてもらうこともできるかも?

【5】

港湾都市であり、工業都市でもあるダンケルク

ダンケルクは、港湾都市として、フランスの中で3番目の大きさです。
臨海部には大規模な製鉄地帯もあり工業都市でもあります。
また、夏はリゾート地として、フランス中からたくさんの海水浴客が押し寄せます。

ダンケルクの街の象徴は、CHARIES VAIENTIN広場に建つ市庁舎です。ここは、観光パンフレットや公式サイトのトップページに飾られていることが多いです。
「USJダンケルク」というフランスのプロサッカーチームがダンケルクに本拠地を置いています。応援グッズがツーリストインフォメーションでも販売されています。
【6】
ツーリストインフォメーションは、フランス国鉄のダンケルク駅から、BD.ALEX III通りを10分ほど歩いたところにある鐘楼の中にあります。
ここでダンケルクの地図やパンフレットを入手しましょう。

【7】 【8】

ダンケルクの街の中心部にある6つの史跡

ダンケルク中心部には、ダンケルク撤退作戦に関する場所が6ヶ所あります。

【9】

※この6つのポイントは、徒歩1時間以内で周れます。

(1)ツーリストインフォメーションの鐘楼

ツーリストインフォメーションの鐘楼の横は、無名戦士の慰霊塔となっています。「1914-1918」「1939-1945」と2つの世界大戦の期間が記してあります。また、両側には、マルヌ、イープル、ソンム・・など第1次世界大戦の激戦地も記してあります。
1940年のダンケルク撤退作戦とは直接関係ありませんが、第2次世界大戦で有名な戦場となっただけあって、街のメインスポットで2つの世界大戦が弔われています。

【10】

(2)JEAT BART像

ツーリストインフォメーションの鐘楼の隣の広場にある像。
ダンケルクは、第2次世界大戦で街の80%破壊を破壊されました。
しかし、この像は奇跡的に焼け残り、ダンケルクの復興の象徴となっています。

【11】

(3)BRITISH MEMORIAL

ダンケルクで命を落としたイギリス軍兵士の墓が、ダンケルクの中心街の南側にあります。隣には、第1次世界大戦で戦死した兵士の墓もあります。

【12】 【12-1】

(4)プリンセス・エリザベス号

プリンセス・エリザベス号は、ダンケルク駅とツーリストインフォメーションの間似合い地するハーバー沿いのQUAI DES HOOLANDS通りから見えます。
元々はイギリスのサザンプトン周辺を運行していたレジャー用の小型のクルーザーでした。フランスとイギリスの間を4往復して1,673人の兵士をイギリス本土まで運びました。
ダンケルク撤退作戦で使われた船は、イギリス軍の輸送船だけではありませんでした。
民間の漁船、観光船、はしけ、野菜運搬船、テムズ川の余暇用の個人ボート等、イギリス国内のあらゆる船が総動員されました。テムズ川のボートの所有者は、ボートを貸すだけでなく自ら操縦して、ダンケルクに向かった民間人もいたくらいです。

【13】 【13-1】

(5)THE MEMORIAL DU SOUVENIR

ダンケルク撤退作戦に関する博物館。
駅から北の海岸に向かって15分ほど歩いたところにあります。
展示は、ジオラマやミリタリーグッズ、当時の文書などが充実しています。
博物館の上は美術館になっています。
冬季中はクローズ
入場料: 4ユーロ
住所: RUE DES CHANTINERS DE FRANCE – DUNKIRK

【14】 【15】

(6)ダンケルク撤退作戦の記念碑

博物館の前にある川を渡り、海岸まで5分ほど歩いたところにあります。
この海岸で、多くのイギリス軍とフランス軍の兵士が、救出の船が来るのを待っていました。

【16】

しかし、船が来ても1日に乗せられる兵士の人数には限度がありました。
また、ドイツ軍はダンケルクへの攻撃を停止したといっても、ドイツ軍戦闘機による執拗な攻撃は繰り返していました。
その日の乗船が終了の旨が告げられると、並んでいた兵士はがっがりします。

しかし、そんな状況でも割り切って、サッカーに興じる兵士、モーターバイク競争を始める兵士、裸になって日光浴を楽しむ兵士、フランス兵にフランス料理を自炊してもらいグルメを堪能する兵士らが続出したようです。

人間は極限状態になっても、少しでも快楽を見つけようとする生き物だということがわかります。
記念碑のはるか向こうには、イギリス軍が大きな船を横付けるために、仮設で使ったといわれる東防波堤があります。
そんな極限状態とレジャーが一体化していた?海岸を歩いてみてはいかがでしょうか。
しかし、冬だと海の風が強く、砂が体に当ってくるので気をつけましょう。

【17】

ダンケルク撤退作戦のその後

イギリス軍は約10日間で、イギリスの最新戦闘機、スピットファイヤーにも護衛されて、33万人の兵士をイギリス本土に撤退させるのに成功します。
ヒトラーは、イギリス国民は敗走してきた自国の兵士を見て士気が下げるだろう、と公言していました。

ところが、イギリス国民は彼らを大歓迎で迎えたのです。
受け入れ先のドーバーの波止場では、帰還したばかりの兵士に、若い娘がココアとビスケットを配り、パブではビールが無料で奉仕されました。
その後、帰還した兵士は休息をとった後、捲土重来を期待して、イギリス各地の部隊に再編成されます。

ダンケルク撤退作戦が完了した後、ダンケルクはドイツ軍によって占領され、パリも陥落、フランスは降伏します。
そして、ドイツ軍はイギリス本土へと襲い掛かります。英国史上最大の危機と言われたバトル・オブ・ブリテンの幕開になるのです。

(ドーバーについては、「ヨーロッパ大陸から最も近いイギリスの港町ドーバーを歩く 編」) 【18】 【19】
【連載ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡

著者:HIRO

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ヨーロッパ各地の世界大戦の戦争遺跡を周って取材しています。
だから、戦争遺跡ライターです。
学生時代から、事件、事故現場、戦争跡地を野次馬のように行くダークツーリズムラー。
特にヒトラー、ナチスなど、第2次世界大戦のヨーロッパ戦線に関することが一番好き。
しかし、重いテーマの旅をしているかというと、旅行先では美味しいご当地グルメを堪能して、お酒を飲んでいます。時には道に迷ってテンパったり、ヨーロッパの街並みに感動したりと、見かけはヨーロッパが大好きな普通の旅行者です。

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「ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡」シリーズを
ダークリズム・ジャパンのニコニコ動画にも寄稿しています。
http://ch.nicovideo.jp/darktourism