ヒトラーとヒンデンブルクが握手したポツダムの日
「ペンキ屋あがりをビスマルクの椅子に座らすことは断じてできぬ!」
とヒトラーを毛嫌いしていた大統領のヒンデンブルクも、ヒトラーを首相にすることを防ぐことはできませんでした。
ヒトラーが首相になった翌月の1933年2月27日。ベルリンで共産党員による国会議事堂放火事件をきっかけに、言論、報道、集会、結社の自由などを停止する、「民族と国家防衛のための緊急令」と各州の自治を大幅に制限して国家が介入できる「ドイツ民族への裏切りと国家謀反の策略防止」を発足します。
この2つの法令によって、国民の自由、身体、財産を抑圧することが可能になったのです。
国会議事堂放火事件については、「【第25回】ベルリンの中心部に眠る、ナチス時代の遺産を巡る散策・前編」をご参照ください。
3月5日の総選挙ではナチス党の大勝利でヒトラーの地位を不動のものにします。
3月13日には「民族啓蒙・宣伝省」を発足させ、宣伝局長にはヨゼフ・ゲッベルスが就きました。
ヒトラー首相就任から1ヶ月ちょっとというわずかな時間で、ドイツは民主主義を標榜していたワイマール共和国は事実上消滅して、独裁国家へと変貌してしまいます。
そこで宣伝省は、国民的英雄であるヒンデンブルクとヒトラーの繋がりを強調させて、国民のナチスへの信頼感を高める演出を企画します。
ポツダムの日とは?
1933年3月21日、翌々日の議会に先立ち、開会式が華麗な演出で行われることになりました。3月21日は1871年、ビスマルクが帝国議会を招集した日であり、フリードリヒ大王の霊廟である*ポツダム兵営教会(衛戍教会)を選びます。
ゲッベルスは「国民総決起の日」と名づけ、街中を鉤十字と旧帝国旗が翻り、街の家はほとんど花飾り、壁掛けで化粧されました。祝砲が鳴り、SA、軍隊がポツダム兵営教会の前に整列します。
灰色のプロシア陸軍元帥の制服を着て、右手にスパイク付きヘルメット、左手に元帥杖を持った厳かな出で立ちのヒンデンブルク。それに対して、モーニングコートというラフな格好のヒトラー。
ポツダム兵営教会の前でヒトラーは頭を垂れ、手を差し出しヒンデンブルクと握手をします。教会に入りフリードリヒ大王の納骨堂で献花しました。
これによって、ドイツ国民にヒトラーがヒンデンブルクからドイツの栄誉と歴史を引き継いだことを印象づけさしたのでした。この一連の行事は「ポツダムの日」と呼ばれています。
*ポツダム兵営教会は衛戍教会、ガルニゾン教会とも表現されます。
ベルリンからの日帰り観光の定番、ポツダム
ポツダムはベルリンの南西に位置して、列車で30分足らずで行けるので、ベルリン観光の日帰りコースの定番となっています。
ポツダムの観光の目玉といえば、フリードリヒ大王の夏の離宮だったロココ式の華麗なサンスーシ宮殿です。美しい庭園は世界史の教科書の巻頭カラーに掲載されるほどです。筆者は今回の取材以前に過去3回、ポツダムに行ったことがありますが、サンスーシ宮殿には一度も行ったことがなく、今回も行けませんでした。いつ行けることになるのでしょうか・・・。
そして、日本人が「ポツダム」と聞いて、思い浮かべるのが、第二次世界大戦末期、連合軍から日本への降伏条件が提示された「ポツダム宣言」という言葉だと思います。
ポツダム宣言の草案は、アメリカ、イギリス、ソ連の首脳がポツダムのツェツィーリエンホーフ宮殿に集まり、開催された会議で作られました。現在は当時の会議場などが見学できる博物館となっています。
筆者も2回、見学に行きました。また宮殿はホテルとしても営業しておりもいつか宿泊したいと思っています。
2022年10月現在、再建中のポツダム兵営教会
今回のポツダム取材の目的は、そのポツダム兵営教会です。
第二次世界大戦の末期、連合軍の空襲によって教会は破壊され、外壁のみが残っていましたが、戦後約20年後に取り壊されてしまいます。しばらくその跡に、痕跡を残すものと言えば、教会にあった鐘(カリヨン)のモチーフが近くの公園に飾られているくらいでした。しかし、近年、教会を再建する動きがあり、ポツダム衛戍教会財団が設立され現在(2022年10月)再建中となっております。
場所は、ポツダム中央駅の右手のハーフェル川にかかる橋を渡ると、右手にニコライ教会が見えてきます。橋を渡ると道が左右、二手に別れていますが、ニコライ教会がある右側には進まず、左側の道(Breite Str. ブライテ通り)を見ると、右側に再建中のポツダム兵営教会が見えてきます。
筆者はポツダム駅から歩いてきた時、遠目に工事中の高い建物が目に入りましたが、最初はそれがポツダム兵営教会だとは思わず、通り過ぎてしまいました。グーグルマップで場所を調べていたのですが、ポツダム兵営教会の場所は、鐘(カリヨン)がある場所を指していたので、そこが教会の跡地だと思っていたからです。
なので、再建中のポツダム兵営教会の前のブライテ通りを通り過ぎて、横の交差点を右に曲がり少し歩いた所にある、モニュメントの鐘がある公園に行きました。実際、当時もその場所は教会の庭園となっていました。今は卓球台で卓球をする子供たち、犬の散歩をする市民の姿が見られました。
ヒトラーとヒンデンブルクが握手した場所は?
再建中のポツダム兵営教会の裏側は展示室が設けられていて、無料で利用することができます。ポツダム兵営教会の歴史を紹介した展示、ビデオも視聴でき、お土産も売っています。筆者が訪問した時は、たまたま他に訪問者がいませんでした。
そこでご年配の男性スタッフの方が1人いたので、ポツダム兵営教会の前でヒトラーとヒンデンブルクが握手している有名な写真について、現在の場所を特定するために、スタッフの方に聞き取りをしました。もちろん、厳密な場所までは特定できませんが、ポツダム兵営教会前の左手横のブライテ通りの歩道となっている辺りだと推測されます。
当時からの上空写真を見ると、教会から見て左横に広場があり、そのさらに左に建物が見えます。2人が握手している写真を見ると、まさにその広場と推測されます。ヒトラーの右後方に教会、ヒンデンブルクの後ろはブライテ通りとだと思われます。
3月21日の正午頃の写真と思われますが、ヒンデンブルクは午前中、ポツダム市内を歩き周り、教会の前でヒトラーが出迎えています。ヒトラーが深々と首を垂れる姿をみた国民はヒンデンブルクに最大限の敬意を払ったと印象づけられたことでしょう。
関連動画 |
ポツダムの日、再建中の衛戍教会、ヒトラーとヒンデンブルクが握手をした場所は?(@YouTube ) |
筆者も、ポツダム兵営教会が再建されたら再訪して、ポツダム宣言が出された宮殿に宿泊して、サンスーシ宮殿も訪れたいです。
絶大な力を手に入れるヒトラー
1933年3月21日、思惑通り国民にヒンデンブルクとの繋がりを印象づけさせたヒトラー。そして、その2日後の1933年3月23日、ベルリンの鉤十字で埋め尽くされたクロールオペラハウスの議会で、ヒトラーは全権委任法を採決させ、立法権に関しては無制限の権利を手に入れたのでした。
ヒトラーを毛嫌いしていたヒンデンブルクは、もはや象徴的な存在にしかすぎず、ヒトラーを止める力はもはや残っていませんでした。
関連動画 |
ヒトラーが第二次世界大戦の開戦をスピーチしたクロールオペラハウス跡(@YouTube ) |
「【第25回】ベルリンの中心部に眠る、ナチス時代の遺産を巡る散策・前編」もご参照ください。
ヒンデンブルクが眠るエリーザべト教会
ポツダムからマールブルクへ話を戻します。
ヒンデンブルクは、パーペンがマールブルクでナチス批判演説直後、1934年8月2日、87歳でこの世を去ります。それはヒトラーが大統領、首相を兼任する総統の地位を手に入れて、完全な独裁権を手に入れた瞬間でもありました。
ヒンデンブルクの葬儀は、全権委任法が採決されたクロールオペラハウスで行われ、遺体は第一次世界大戦でヒンデンブルクが勝利に導いたタンネンベルクに埋葬されました。しかし、ソ連軍の進攻が迫った戦争末期に、ヒンデンブルクの腹心、パーペンがヒトラー批判演説をしたマールブルクに移されることとなります。
光を当てられないヒンデンブルクの墓
ヒンデンブルクの墓は、マールブルクの観光名所の一つであるステンドグラスが必見の13世紀に建てられたエリーザべト教会に今日も安置されています。
エリーザべト教会は、マールブルク中央駅とパーペンがヒトラー批判演説をしたマールブルク大学旧校舎の中間地点にあります。
マールブルク大学については、「【第88回】ヒトラーの台頭を防げなかった政治家、ヒンデンブルクとパーペン-その1」をご参照ください。
ヒトラーの台頭を防げなかったヒンデンブルクの墓には照明が当てられていないという情報を得ていましたが、実際にエリーザべト教会に足を運んだら、墓の周囲は工事中の垂れ幕がかかっていました(2022年9月現在)。その墓の場所も教会の入口を入ってすぐ左側にあります。
この2点の扱いだけを目の当たりにして、ヒンデンブルクの現在でのドイツでの評価が分かる気がしました。これがもし英雄的な人物と評価されていたら、入口のすぐ近くという場所ではなく、教会の中のもっと奥の神聖な場所に墓が置かれていたでしょうし、安易に工事中の垂れ幕などを掲げることはできなかったはずです。
第一次世界大戦の英雄、ヒンデンブルクもさぞ無念のことでしょう。
過去の権威、栄光だけでは人々の敬意は受けても、目の前の現実社会では実際に行動して、力がある人が世の中を動かしていくということが2人の歴史からの教訓ではないでしょうか。
関連動画 |
工事中だったヒンデンブルク大統領の墓…(@YouTube ) |
<【第88回】ヒトラーの台頭を防げなかった政治家、ヒンデンブルクとパーペン-その1
【第88回】ヒトラーの台頭を防げなかった政治家、ヒンデンブルクとパーペン-その2
同シリーズが「ヒトラー 野望の地図帳」として書籍化
同シリーズが書籍化され、各書店の歴史の棚の世界史やドイツ史のコーナーに置かれています。web記事とは違う語り口で執筆していて、読者の方々からは、時代背景が簡潔でわかりやすい、学者とは違うテイストが新鮮、という感想をいただいております。
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