バルジの戦いまで
第2次世界大戦当初は勢い良く、ヨーロッパ大陸を制圧していたドイツでしたが、アメリカ軍が参戦した連合軍に対して、劣勢になっていきます。 連合軍は1944年の北フランス、ノルマンディー上陸、パリ解放と、順調にドイツの支配からヨーロッパ各地を解放していきます。1944年12月、ドイツ本国決戦へと迫られたドイツは、最後の抵抗を試みます。4年前のフランスを即死させた電撃戦を再現します。
残存の装甲部隊を使い、ベルギー南部のアルデンヌの森から、ベルギー北部のアメリカ、イギリス軍の補給港であるアントーワープを占領し、ベルギー北部、オランダに展開するイギリス軍の退路を遮断し、大打撃を与えるという作戦でした。
「バルジ」とは、ドイツ語で「突出部」という意味です。
ドイツ軍の攻撃によって、連合軍の陣地の真っ只中に突出部(バルジ)を作る、という作戦だったことから、そう名付けられました。
作戦当初は、アメリカ軍は油断したのか、初日に1万人が捕虜になるなど、打撃をこうむりますが、物量に勝る連合軍は次第に押し返していきます。
第2次世界大戦の末期、西部戦線でドイツ軍が、最後の大掛かりな反抗を行った「バルジの戦い」の最大の激戦地であるバストーニュがベルギー南部にあります。
どうやって行く?バストーニュ
バストーニュは、ベルギー南部のアルデンヌの森の中にある田舎町です。ブリュッセルから列車で2時間ほど(ルクセンブルグからだと約1時間~1時間半)で着くリブラモント(LIBRAMONT)という駅からバスに乗って40分ほどかかります。
かつて7本の舗装道路と3本の鉄道線が交差するアルデンヌの森の交通の要所バストーニュは、バルジの戦いにおいて激戦地となります。現在は、鉄道は通ってなく、ブリュッセル~ルクセンブルグ間のリブラモントから1時間に1本の割合で出ているバスで行くしか方法はありません。
■バストーニュの中心部の「NUTS広場」■
NUTS広場と呼ばれるメイン広場には、バストーニュ防衛を命じられたアメリカ軍、第101空挺師団団長代理、アンソニー・マコーリフ将軍の像と戦車があります。NUTS広場と呼ばれているのは、ドイツ軍に包囲されたマコーリフ将軍が、ドイツ軍の軍使から降伏勧告を受けた時に、 「NUTS!」
と叫んだことが由縁です。
「NUTS」とは、英語の俗語で「たわけ!」「クソ野郎!」「地獄へ落ちろ!」という意味になります。NUTSの意味がわからなかったドイツ軍の軍使は、マコーリフの堂々とした態度から、空気を察して、ドイツ陣地に帰って行きます。
バストーニュの街のカフェの窓やドア、またお土産のウィスキーやカップなどにも「NUTS」という言葉が書かれています。そのNUTS広場にはツーリストインフォメーションがあり、観光案内のパンフレットがたくさん置いてあり、お土産コーナーもあります。
■地元のおじさんが個人経営している博物館■
バス停とNUT広場の間の道に地元の方が私的に管理する博物館があります。外観は博物館というより、ミリタリーショップといった感じです。
中へ入ると管理人の陽気なおじいさんがいて、ミリタリーグッズも販売しています。
地下の狭い展示コーナーは、戦争博物館なのか、ミリタリーグッズ博物館なのかよくわかりませんが、ヒトラーの顔の彫刻など、掘り出し物の宝庫といった感じです。
AU PAYS D,ARDENNE ORIGINAL MUSEEUM
入場料:3ユーロ
アメリカからの観光客で賑わうバストーニュ戦争博物館
バストーニュ郊外にバルジの戦いを中心とした 第2次世界大戦に関する博物館があります。NUTS広場からメインストリート(RUE DU SEBLON)を抜け、約2キロの距離を約30分弱、ひたすら歩いていくと、バストーニュ戦争博物館「BASTOGNE WAR MUSEUM」に着きます。
市街からの路線バスがありません。駐車場があるので、見学者の大半は車でやってきます。バストーニュの中心から歩いて行くのもいいですが、雪が降る冬はタクシーを使うのが良いと思います。
博物館の中へ入ると、充実したお土産コーナーと綺麗なカフェテリアがあります。お土産コーナーにはバルジの戦いに関するグッズが売っていて、市内のツーリストインフォメーションより充実している品揃えです。
フランス、イギリス、ベルギーなど、 第2次世界大戦で最終的に勝利国となったヨーロッパの戦争博物館は、美術館のようなおしゃれな雰囲気があり、エンターテイメント性に富んでいます。そのためか、若干高めの入場料金が設定されています。
敗戦国のドイツの場合は、博物館自体は綺麗なのですが、エンターテイメント性に乏しいつくりとなっています。カフェテリアはあっても、お土産コーナーは負の歴史を伝える本が中心となり、ご当地グッズなどは皆無です。入場料は無料のところが多く、入場料が設定されていても安い場合がほとんどです。
そして、どちら側にも言えるのは、戦争という重いテーマであるにも関らず、年配の方々だけではなく、小さい子供を連れた家族連れや若いカップル、平日なら地元の学校の社会見学の学生達など、あらゆる世代の層の見学客で賑わっています。
2度の大きな世界大戦を経験し、国土が戦場となったヨーロッパでは、日本人よりも過去の戦争が身近なものとなっているのです。
館内は、ヨーロッパの他の戦争博物館と似たような展示となっています。
ヨーロッパの戦争博物館の基本展示パターン
まず、中に入ると第1次世界大戦~第2次世界大戦に関する展示が順々に紹介されています。
その後、ご当地の戦いに関するコーナーとなっているのが、ヨーロッパの戦争博物館の基本的な展示パターンです。また、規模は小さい場合がほとんどですが、太平洋戦線に関するコーナーも必ずあります。
展示の終わりには、大概、原爆投下のキノコ雲の写真で閉めくられています。ヨーロッパ戦線とは直接関係がない原爆投下は、第2次世界大戦の終結の象徴として、ヨーロッパの人たちにも印象付けられています。広島に行くと、外国人観光客が非常に多いのも納得できます。
戦闘シーンを再現した劇場
この博物館で特徴的なのは、CG、絵、当時の写真を組み合わせて戦闘を再現した劇場シアターが2ヶ所あることです。
「第1幕 アルデンヌの森のバジルの戦い」は、砲撃や爆撃の効果音にリアリティがあり、泣き出す子供もいますが、CG、絵、当時の写真のミックスが見事です。
「第2幕 ビクトリーカフェ」は、バストーニュの街にあるカフェが舞台です。カフェの前に道に行き交う人々の平和なシーンから、戦車が行き交い、爆撃機による爆撃のシーンになっていきます。その後、カフェの下の地下壕が浮かび上がってきて、避難している人々の緊張感のある会話が流れます。最後は戦争が終わったシーンになります。
入場料:12ユーロ
クレジットカード:使用可能
グループ割引や、学生割引:有
英語のオーディオ:有
説明言語:英語、オランダ語、ドイツ語、フランス語
休日:月曜
バルジの戦いがあったアルデンヌの森は、ヨーロッパの硫黄島
バルジの戦いは、主にアメリカ軍とドイツ軍の戦いです。1945年1月、ドイツ軍は9万8千人の戦死傷者を出し、残存の戦車や弾薬を使い果たし、組織的な戦闘は不可能となりました。
その一方、アメリカ軍もドイツ本土に迫り、戦争の見通しを楽観していました。
そのような時に、ドイツ軍の思いがけない反撃にあい、戦死傷者約8万人も出してしまいます。
アメリカ軍が勝利目前と思われた戦争終盤に、太平洋戦線で日本軍のゲリラ戦によって、大出血を食らった硫黄島の戦いを連想させます。
硫黄島の戦いは日米で映画やドラマになったり、アメリカ国内でも有名な戦いです。
そして、バルジの戦いも欧米で多くの映画やドラマになっています。戦争博物館の外にある記念モニュメントには、アメリカ各州の名称が掘られています。ツーリストインフォメーションの情報によると、バストーニュへ訪れる外国人の観光客の中で一番多いのはアメリカ人とのことです。
私もモニュメントを見ているとき、アメリカのオハイオ州から来たご婦人に話しかけられました。
「何州から来たのか?」
ご婦人は私のことを日系アメリカ人と思ったのでしょう。
アメリカ人にとって、硫黄島の悲劇のヨーロッパ版がバルジの戦いなのです。ベルギーの山奥の田舎町にすぎないバストーニュへのアメリカ人観光客の多さが、それを物語っています。
※テレビドラマ「バンド・オブ・ブラザース」(2001年、アメリカ)
映画「真夜中の戦場」(1992年、アメリカ)
映画「バルジ大作戦」(1965年、アメリカ)