【第59回】北欧戦跡の旅3:ヒトラーに屈しなかったノルウェー初代国王-その2|トピックスファロー

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2018年8月13日
【第59回】北欧戦跡の旅3:ヒトラーに屈しなかったノルウェー初代国王-その2

ノルウェーの国王・ホーコン七世は、戦わずしてヒトラーの軍門に下ったデンマークと違い、戦う道を選択します。ノルウェーは、連合軍側として北欧で唯一、ナチスドイツと戦った国となり、ドイツ軍とイギリス軍もノルウェー本土で激戦を繰り広げました。映画「ヒトラーに屈しなかった国王」では、この時代のノルウェーが描かれています。

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ヒトラーに嫌われた絵があるオスロ市庁舎

オスロ中央駅から王宮へ向かい、カールヨハン通りを歩いて左側に入ったところにオスロ市庁舎があります。大広間では毎年12月10日、ノーベル平和賞の授賞式が行われます。 大広間で目につくのが巨大な油絵。第二次世界大戦のナチスドイツ支配下に描かれたものが多く、占領下の苦しみが現れています。

市庁舎の外観▲市庁舎の外観

大広間と油絵▲大広間と油絵

様々な「人生」を歩んだムンクの絵

入口からみて右側の階段を上がったところに、「ムンクの間」と呼ばれる部屋があります。ここは記者会見や小規模なレセプションに使われています。

ムンクの間には、ムンクの「人生」という絵が飾られています。この絵は元々、スウェーデン人のコレクターの所有物で、ドイツのドレスデンの国立美術館に展示されていました。

ムンクの間の「人生」▲ムンクの間の「人生」

当時ドイツの政権を握っていたヒトラーにこの絵は毛嫌いされ、国立美術館から撤去されます。そして、1938年、美術商によってスイスでオークションにかけられ、トーマス・オスレンというノルウェー人のムンクのコレクターに落札されました。
しかし、1940年、入札を競っていたオスロ市の「人生」をオスロ市庁舎に飾りたいという強い要望によって、トーマス・オスレンはオスロ市へ売却しました。

ナチスドイツがノルウェーに進撃してきた1940年に、ヒトラーに毛嫌いされたムンクの「人生」がムンクにゆかりがあるオスロに返還されたのも何か皮肉です。

歴代国王との対面

ムンクの間と反対側の部屋には、ノルウェーの歴代国王の油絵の肖像画があります。

正面から見て左の2枚は、現国王ハーラル五世夫妻、扉を挟んで右隣がハーラル五世の父親であるオラブ前国王、その更に右隣がオラフ前国王の父親であるホーコン七世、全部で4枚あります。

現国王ハーラル五世夫妻▲現国王ハーラル五世夫妻

オラフ前国王▲オラフ前国王

ノルウェーの初代国王、ホーコン七世▲ノルウェーの初代国王、ホーコン七世

映画「ヒトラーに屈しなかった国王」ではホーコン七世を主人公にして、第二次世界大戦中、ドイツの手から逃れるためにオスロを脱出、降伏か抵抗かの選択を迫られたノルウェー王室の3日間が描かれています。当時は王子だったオラフ、まだ子供だった現国王ハーラル五世も登場します。

オスロ市庁舎は入場料が無料なので、ぜひ見学してみてください。

ノルウェーのレジスタンスが処刑されたノルウェー抵抗博物館

オスロ市庁舎の後ろにある海岸沿いを歩いた高台に、第二次世界大戦中のノルウェーを紹介する「ノルウェー抵抗博物館」があります。

ノルウェー抵抗博物館の外観▲ノルウェー抵抗博物館の外観

ノルウェーをはじめ、第二次世界大戦中、ナチスドイツに占領されていた国の首都では、当時の記録を残す博物館に「抵抗博物館」という呼称がつけられています。
実際には当時のレジスタンスを紹介するだけでなく、第二次世界大戦に巻き込まれる過程、ドイツ軍との戦闘、当時の市民の暮らしなども展示されているため、「歴史博物館」といった印象を受けます。

「抵抗博物館」という呼称にしているのは、ナチスドイツに占領されながらも、国民全員が指を加えて黙っていたわけではないという、一つの国家としてのプライドの表れなのかもしれません。

博物館の外観は小さいですが、展示は地下もあるのでけっこう大きい博物館です。

抵抗博物館から見えるオスロ市内。市庁舎も見える▲抵抗博物館から見えるオスロ市内。市庁舎も見える

デンマークの抵抗博物館(2018年8月現在建設中)は、「北欧戦跡の旅2:数時間でナチスドイツに降伏したデンマーク」編。
オランダの抵抗博物館は、「第2次世界大戦中、ナチスに抵抗した歴史を伝えるオランダの博物館」編で紹介しています。

ご興味があれば、併せてご覧いただけたらと思います。

入場すると展示は時系列順になっており、1940年4月9日、ドイツ軍がノルウェーに侵攻してきた日から始まります。

当初、ドイツ軍ではなくイギリス軍の爆撃があるのではないかと噂され、パニックになるオスロ市民の写真があります。

イギリス軍の空襲のうわさが流れパニックになるオスロ市民▲イギリス軍の空襲のうわさが流れパニックになるオスロ市民

既述したように、イギリス軍もドイツ軍の侵攻を妨害するために、領海を犯してノルウェー沖に機雷を設置するなど海上封鎖をしようとしていました。
中立の立場であったノルウェー政府は、イギリスに対しても抗議を行っていたのです。中立国にとってドイツ軍も侵略者でしたが、ドイツ軍と対峙しているイギリスをはじめとする連合軍も侵略者なのには変わりません。

ヒトラーはその状況を利用して、イギリス軍の攻撃から守るための保護占領という要求をノルウェー政府に突き付けたのでした。

映画「ヒトラーに屈しなかった国王」でも以下のようなシーンがあります。

ノルウェー駐在のドイツ大使
「こんなのは彼ら(ノルウェー)からしたら、ただの侵略だ。」

ドイツ軍のノルウェー駐在武官
「それを侵略とわからないように、(ノルウェー)に伝えるのがおまえ(大使)の仕事だろ。」

ヒトラーと交渉するか?戦うか?
オスロを脱出して列車、乗用車でノルウェー北部を転々とするホーコン七世国王一行。そんな中、ノルウェー駐在のドイツ大使が逃避行中のホーコン七世と接触します。

ドイツ大使はホーコン七世に対して、ヒトラーの要求を個人的に懐柔して、可能な限りの妥協案を提案します。


ホーコン七世
「私は国民に選挙で選ばれた国王だ。この国の主権は政府や国民にある。それを無視して降伏することはできない。」

このやり取りは映画でもクライマックスのシーンになります。

その後、約2ヵ月の戦闘の上、ノルウェー本国は支配下に置かれるも、国王一家、政府は6月7日トロムソからイギリスへ亡命。祖国を離れてナチスドイツと戦う道を選びます。

ドイツ軍侵攻当日のホーコン7世の様子▲ドイツ軍侵攻当日のホーコン7世の様子

イギリスへ亡命するホーコン7世とオラフ王子▲イギリスへ亡命するホーコン7世とオラフ王子

【第59回】北欧戦跡の旅3:ヒトラーに屈しなかったノルウェー初代国王 は、3ページ構成です。
「その1」から順に読んでいただくと、より楽しんでいただけると思います。


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【連載】ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡(第1回~第100回)

著者:ヒロマル

戦争遺跡ライター
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1979年神奈川県生まれ、神奈川県逗葉高校、代々木ゼミナールで1浪、立教大学経済学部卒業。

大学在学中からヨーロッパ、アジアなどを海外放浪してハマってしまい、そのまま新卒で就職せずフリーターをしながら続ける。その後、会社員生活をしながらも休み、転職の合間を利用して海外放浪を続ける。50ヶ国以上訪問。会社の休暇を利用して年に数回、渡欧して取材。

2012年からライター業を会社員との二足のわらじで開始。
2014年からwebメディア(株)フォークラスのTOPICS FAROで2つのシリーズを連載中。

▼もんちゃんねる(You Tube)
https://www.youtube.com/channel/UCN_pzlyTlo4wF7x-NuoHYRA

▼「ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/warruins
ヨーロッパ各地を取材し、第二次世界大戦に関する場所を紹介。
軍事用語などは極力省き、中学レベルの社会の知識があれば楽しめる記事にしています。
同シリーズが2017年に書籍化。
「ヒトラー 野望の地図帳」(電波社)から全国書店の世界史コーナーで発売中。

▼「受験に勝つ!世界史の勉強法」シリーズ
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2018年から主に世界史を中心とした文系の勉強方法について執筆。
大学受験だけでなく、大学生や社会人の大人の教養としての世界史の勉強方法にも触れて、
高校生、大学生、社会人とあらゆる世代を対象としています。

世間の文系離れを阻止して、文系の学問の復権に貢献することが、2つの連載の目的です。

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