【第69回】ミュンヘンでヒトラーの面影を追う旅6 ~愛人エヴァ編-その2~|トピックスファロー

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2019年1月30日
【第69回】ミュンヘンでヒトラーの面影を追う旅6 ~愛人エヴァ編-その2~

ヒトラーの愛人として有名なエヴァ・ブラウン。「その2」ではヒトラーが姪・ゲリを亡くし悲しみにくれる中、エヴァがヒトラーへの思いを自覚し始めた後から、ヒトラー共にこの世を去った痕跡を巡ります。

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ゲリに続き、自ら命を絶とうとしたエヴァ

ゲリを失ったあとのヒトラーは、プライベートの生活を楽しむ余裕がありませんでした。1929年の世界大恐慌で打撃を受けたドイツが、再びヒトラーの力を必要としたからです。1932年、ナチスがドイツの国政選挙で第1党に躍進したその矢先、またしてもヒトラーの身に悲劇が起こります。

ゲリの自殺から1年足らずの1932年11月1日、寂しさに絶望したエヴァが自ら命を絶とうとしたのです。エヴァは、ヒトラーのそばにいられる女性になると思い込んでいましたが、多忙となったヒトラーには彼女を顧みる余裕がなかったことが発端です。

自宅で首に向かってピストルの引き金を引きますが、頸動脈から数ミリ外れたおかげで命は助かりました。

自殺未遂したエヴァの実家

エヴァが自殺未遂した実家が、まだ残っています。場所はプリンツレゲンテン広場のヒトラーの家から徒歩圏内です。

プリンツレゲンテン広場のヒトラーの家やゲリについては、「ミュンヘンでヒトラーの面影を追う旅5 ~愛する姪ゲリ編~」をご参照ください。

ヒトラーの家があるプリンツレゲンテン広場から伸びるポッサード通り(PossarStraße)をひたすら歩くと、広場になっている交差点に突き当たります。

そこからシャイナー通り(ScheinerStraße)を少し進むと右側にあるイン通り(innStraße)に入ります。イン通りに入って3番目の左角から伸びるテルプ通り(DelpStraße)にエヴァの実家がありました。

ポッサード通りポッサード通り

イン通りとテルプ通りの角にはセルビア共和国の大使館もあることからもわかるように、とても閑静な住宅街です。

セルビア共和国大使館セルビア共和国大使館

エヴァの実家はテルプ通りの右側(DelpStraße 12)にありました。当時の建物が2015年まで残っていましたが、取り壊されて新しい家になっています。

ヒトラーの愛人の実家ということで、地元で議論の末、取り壊しが決まったようです。オーストリア、ブラウナウのヒトラーの生家も保存に関して議論がされていますが、どのような決着をみるのでしょうか。

エヴァの実家。改築されているけど、当時の面影が残る家エヴァの実家。改築されているけど、当時の面影が残る家

ヒトラーの生家は、「オーストリアの旅。ヒトラーの足跡を辿ってみる 少年時代編」をご参照ください。

ヒトラーの生家やエヴァの実家も閑静な住宅街の一角にあり、そこからは2人が国の運命を共にする悲劇的な最期を迎えたとは想像がつきません。

ヒトラーの家からプリンツレゲンテン広場のヒトラーの家から徒歩15分ほどで着きます。

帰りはプリンツレゲンテン広場まで戻らず、地下鉄、U4のBöhmerwaldplatz 駅を使うと便利だと思います。

エヴァの家があるテルプ通りを進むとドナウ通り(DonauStraße)に突き当たります。ドナウ通りを右に進んでいくと大きなリヒャルト=シュトラウス通り(Richard-Strauss-Straße)に出ます。その環状線沿いにBöhmerwaldplatz 駅があります。

リヒャルト=シュトラウス通りリヒャルト=シュトラウス通り

その後のヒトラーとエヴァ

ヒトラーはエヴァの自殺未遂に衝撃を受けますが、だからといって、エヴァと会う回数が増えたというわけではありませんでした。

1933年になるとナチスが政権を取り、ヒトラーの忙しさは拍車がかかります。活動の舞台がミュンヘンから首都のベルリンになったことも、回数を増やせない原因となりました。

それでも忙しい合間をぬって、ミュンヘンに行った時は、エヴァと会っていたことが、唯一ヒトラーにできることでした。

この頃になると、「ヒトラーの山荘」として有名なベルヒデスガーデンの山荘が完成します。エヴァは生活の大部分をそこで過ごしました。

第二次世界大戦が始まってからはヒトラーもベルヒデスガーデンで過ごすことが多くなります。ナチス幹部との会談、軍幹部との作戦会議などが行われました。また戦況が悪化して心身がどんどん疲れていく中、エヴァとのひとときはヒトラーにとって癒しだったことでしょう。

ベルヒデスガーデンのヒトラーの山荘。ケールシュタインハウスベルヒデスガーデンのヒトラーの山荘。ケールシュタインハウス

ケールシュタインハウスのエヴァの部屋ケールシュタインハウスのエヴァの部屋

※ケールシュタインハウスは夏期だけ一般公開されています。

本シリーズの初期に執筆した、「ナチスドイツの総統、アドルフ・ヒトラーゆかりの地を巡る」編で軽く触れています。

しかし、ヒトラーの愛人となったエヴァは公式行事で表舞台に立つことはほとんどありませんでした。エヴァの存在を知っていたのはヒトラーと近い人たちだけでした。

エヴァはそのようなヒトラーとの関係にやきもちしている一方で、ヒトラーへの想いが強くなっていくのです。だからこそ、ヒトラーの静止を断り、ミュンヘンからソ連軍が迫りくるベルリンの総統地下壕に単身乗り込み、最期をヒトラーと迎えようとしたのかもしれません。

1945年4月28日深夜、ソ連軍の砲弾が迫りくる総統地下壕で側近だけに見守られた結婚式を挙げます。4月30日、ヒトラーは拳銃で、エヴァは青酸カリで命を絶ったのでした。

それは第三帝国と言われたナチスドイツが崩壊した瞬間でもありました。

ヒトラーとエヴァの最期の場所は、「1945年、独ソのベルリン最終決戦の跡地を散策」編をご参照ください。

ベルリンのヒトラーの地下壕があった場所ベルリンのヒトラーの地下壕があった場所

【本記事における参考文献】
ヒトラーをめぐる女たち(TBSブリタニカ)
著:エーリヒ・シャーケ

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同シリーズが「ヒトラー 野望の地図帳」として書籍化

同シリーズが書籍化され、各書店の歴史の棚の世界史やドイツ史のコーナーに置かれています。web記事とは違う語り口で執筆していて、読者の方々からは、時代背景が簡潔でわかりやすい、学者とは違うテイストが新鮮、という感想をいただいております。

歴史好きはもちろん、ちょっとマニアックなヨーロッパ旅行をしたい方々の旅のお供になる本です。

ヒトラー 野望の地図帳

ヒトラー 野望の地図帳
著者名:サカイ ヒロマル
出版社:電波社     
価格 :1,400円(税抜) 

【連載】ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡(第1回~第100回)

著者:ヒロマル

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1979年神奈川県生まれ、神奈川県逗葉高校、代々木ゼミナールで1浪、立教大学経済学部卒業。

大学在学中からヨーロッパ、アジアなどを海外放浪してハマってしまい、そのまま新卒で就職せずフリーターをしながら続ける。その後、会社員生活をしながらも休み、転職の合間を利用して海外放浪を続ける。50ヶ国以上訪問。会社の休暇を利用して年に数回、渡欧して取材。

2012年からライター業を会社員との二足のわらじで開始。
2014年からwebメディア(株)フォークラスのTOPICS FAROで2つのシリーズを連載中。

▼もんちゃんねる(You Tube)
https://www.youtube.com/channel/UCN_pzlyTlo4wF7x-NuoHYRA

▼「ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/warruins
ヨーロッパ各地を取材し、第二次世界大戦に関する場所を紹介。
軍事用語などは極力省き、中学レベルの社会の知識があれば楽しめる記事にしています。
同シリーズが2017年に書籍化。
「ヒトラー 野望の地図帳」(電波社)から全国書店の世界史コーナーで発売中。

▼「受験に勝つ!世界史の勉強法」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/wh
2018年から主に世界史を中心とした文系の勉強方法について執筆。
大学受験だけでなく、大学生や社会人の大人の教養としての世界史の勉強方法にも触れて、
高校生、大学生、社会人とあらゆる世代を対象としています。

世間の文系離れを阻止して、文系の学問の復権に貢献することが、2つの連載の目的です。

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