【第74回】ミュンヘンでヒトラーに抵抗した市民の痕跡を巡る その3|トピックスファロー

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2019年3月14日
【第74回】ミュンヘンでヒトラーに抵抗した市民の痕跡を巡る その3

ミュンヘン大学の反戦組織「白バラ」の一員だった、ショル兄妹。「その3」では、彼らがゲシュタポに捕まってから命を落とすまでに関わった地を訪れます。また、ショル兄妹の他に、ヒトラーに抵抗した市民として有名な「ヨハン・ゲオルク・エルザー」の痕跡も追いました。

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白バラ事件が裁かれた法廷

ヴィッテルスバッハ宮殿の中にあったゲシュタポ本部での4日間の拘留、尋問が終わった後の1943年2月22日。朝からショル兄弟は車で裁判所へ連れていかれます。人民法廷が行われることになったのです。

人民法廷は、ナチス時代に設立された裁判所で、国家への反逆や売国行為に対して行われました。

冷血判事といわれたローラント・フライスラーを裁判長に迎えて、ショル兄妹の人民法廷が始まります。司法宮殿の216号室で行われました。

斬首刑の判決が下された216号室(現在の様子)

216号法廷は、現在でも残っています。ゲシュタポ本部があった場所の交差点から、マクシミリアン広場(Maximilian Square)がある通りを抜けると司法宮殿(Justizplast(Palace of Justice))の建物が見えてきます。

マクシミリアン広場から見た司法宮殿1. マクシミリアン広場から見た司法宮殿

1897年に完成した司法宮殿の建物は、現在でもバイエルン州の地方裁判所として使われています。ゲシュタポの本部から徒歩で10分ほどの距離で、ミュンヘン中央駅からも徒歩圏内です。司法宮殿の中は無料で見学が可能で、空港のようなセキュリティーチェックを受けてから中へ入ります。

セキュリティーチェックを通過すると、司法宮殿のホールに出る2. セキュリティーチェックを通過すると
司法宮殿のホールに出る

216号室は3階の入り口から見て左側奥にあります。現在は253号室となっていて白バラホールと呼ばれる記念館になっていて、当時の様子を知ることができます。

旧216号室の白バラホール3. 旧216号室の白バラホール

ショル兄妹の判決

ショル兄妹たちの裁判は、午前9時に始まりました。傍聴席はナチス党関係者で満員となり、ショル兄妹と白バラグループの仲間だったクリストフ・プロープストは、直立不動のまま、裁判を受けていました。

裁判長のフライスラーは、ショル兄妹たちを愚かな犯罪人に仕立てるために、声を張り上げ、激しく席から立ちあがり、彼らを罵ります。弁護人もつけられていましたが、ショル兄妹を弁護する言動をほとんど見せませんでした。

216号室の雰囲気は緊張感で張り詰めます。
初めからこの裁判の結果はわかっていたのです。

青ざめた表情をしながらもショル兄妹たちは、堂々と自分たちの信念を貫き、フライスラーをてこずらせます。傍聴人のナチス党員にもそんな彼らの姿に同情する念をいだいる人もいたかもしれません。

フライスラーが座っていた裁判長の席4. ショル兄妹が立たされていた位置から見た、
フライスラーが座っていた裁判長の席
傍聴人席5. 傍聴人席。
その前に被告として、ショル兄妹が立たされていた。
壁には白バラメンバーの写真が飾られている

しかし、午後1時間30分頃、裁判の判決を決める審議のために、休憩が挟まれ、そしてすぐに法廷が始まり、判決が言い渡されます。

「斬首刑」

この判決を聞いた時、妹のゾフィーは終始、黙っていました。兄のハンスは妻子がいるプロープストの命だけは助けてほしいと、懇願しますが遮られます。自分たちの処遇に対しては何も言わなかったことから、彼らは初めから自分たちの運命はわかっていたのだと思います。

筆者が訪れた時は、訪問者が誰もいなかったのもあり、一見、76年前の緊張感を想像させない静かな雰囲気がありました。しかし、写真を見てもお分かりのように、決して広くない部屋からは、フライスラーの顔を凝視できた場所に立たされたショル兄妹達の恐怖、満員だった傍聴席の張り詰めた空気を想像することができます。

窓に飾られている白いバラ6. 窓に飾られている白いバラ

5時間におよぶ裁判は終了して、ショル兄妹は刑が執行されるシュターデルハイム刑務所に移送されます。

司法宮殿(Justizplast(Palace of Justice))へのアクセス
住所 :ElisenStrase 1a

死刑の執行が行われたシュターデルハイム刑務所と墓

ショル兄妹たちの死刑が執行されることとなったシュターデルハイム刑務所は、現在でもドイツ最大の刑務所です。

かつては1922年にビアホールの演説で治安を乱した罪で、ヒトラーも1ヶ月の間、服役していました。「ミュンヘンでヒトラーの面影を追う旅7 ~ヒトラーの粛清編~」で紹介したエルンスト・レームも1934年の長いナイフの夜事件で収監され、処刑された場所でもあります。ナチス時代はシュターデルハイム刑務所で1,000人以上が処刑されたといわれています。

シュターデルハイム刑務所の塀7. シュターデルハイム刑務所の塀

午後4時頃、ショル兄妹たちは、看守たちのはからいで、処刑される直前に両親と面会を許されました。ゾフィーは両親から甘いものを受け取り嬉しそうに食べます。

「いただくわ、そういえば、まだお昼を食べてなかったのよ。」

そして、ショル兄妹たちは、斬首台へと消えます。
ハンスは執行直前、「自由万歳!」と叫びます。
ゾフィー21歳、ハンス24歳、プロープスト23歳の生涯でした。

その後も白バラメンバーは、各地で100人以上が逮捕され、8人が処刑されたのです。

シュターデルハイム刑務所へは、ミュンヘン中央駅から地下鉄U2線でGiesing駅まで行き、そこからバスかトラムに乗り換えます(進行方向はGiesing駅を降りて目の前にあるシュバンセ通り(SchwanseeStrase)を左側)。
そして、トラムの終点のSchwanseeStraseで降ります(Giesing駅から10分ほど)。
目の前の交差点を渡って右側に伸びるシュターデルハイム通り(StadelheimerStrase)沿いにシュターデルハイム刑務所あります。

シュターデルハイム刑務所は、今でも現役の刑務所なので中に入ることはできませんが、刑務所内の地下倉庫には、「世界で最も秘密に閉ざされた博物館」があるそうです。そこは刑務所の職員の方々が、仕事のかたわら開設したそうで、小さな部屋に白バラ事件を含め、当時処刑された人々の所有物や処刑記録が保存されているといわれています。

シュターデルハイム刑務所の管理棟8. シュターデルハイム刑務所の管理棟

シュターデルハイム刑務所の前には、墓地の入り口が見えます。その墓地はショル兄妹たち、処刑された白バラグループの墓があるパーラッハ森林墓地です。

パーラッハ森林墓地の管理棟9. パーラッハ森林墓地の管理棟

墓地の入口を入ると管理塔があり、ショル兄妹たちの墓はさらに左奥にあります。
筆者がショル兄妹の墓を訪れた時は、老婆が水をかけていたり、お供え物を整えたりしていました。今でもショル兄妹たちの墓を訪れたりする人たちや、墓の手入れをする人たちがいるのがわかります。

ショル兄妹たちの墓10. ショル兄妹たちの墓。
ショル兄妹の両親、プロープスト、彼の母親が眠っている
墓の前に置いてあった、ナチスの鍵十字にバツの線を引くバッジ11. 墓の前に置いてあった、
ナチスの鍵十字にバツの線を引くバッジ

SchwanseeStrase駅の売店には白いバラも売られている12. SchwanseeStrase駅の売店には白いバラも売られている

シュターデルハイム刑務所(Stadelheim Prison)へのアクセス
住 所 :StadelheimerStrase 12

パーラッハ森林墓地(Perlacher Forst Cemetery)へのアクセス
住 所 :StadelheimerStrase 24
開館時間:8:00-18:00(4月~10月 900-19:00)

ヒトラーを暗殺しようとした家具職人

ミュンヘンでは、開戦直後の1939年、ショル兄妹たちの白バラグループ以外にも、反ナチスで単独でヒトラーを暗殺しようとした人物がいました。それは家具職人、ヨハン・ゲオルク・エルザーです。エルザーのヒトラー暗殺計画については、筆者が2014年にミュンヘンを訪れたい際の記事、「ナチスが誕生した街ミュンヘンを歴史と共に歩く」を参照してください。

ゲオルク・エルザー13. ゲオルク・エルザー
暗殺未遂事件直後のビュルガーブロイケラー14. 暗殺未遂事件直後のビュルガーブロイケラー

暗殺未遂現場である、ミュンヘン一揆の出発地点であるビュルガーブロイケラー(ビアホール。現在は「ガスタイク文化センター」)の入口には、エルザーに関する展示文(ドイツ語のみ)が掲げられています。

ガスタイク文化センターの入口15. ガスタイク文化センターの入口
事件現場だったガスタイク文化センターの入り口にある展示文16. 事件現場だったガスタイク文化センターの入り口にある展示文

ミュンヘン一揆については、「ミュンヘンでヒトラーの面影を追う旅4 ~ヒトラーの挫折編-その1~」をご参照ください。

エルザーは、その後スイスに逃亡しようとして国境で捕まります。イギリスの諜報機関の関与を疑うゲシュタポの厳しい取り調べにも、単独犯を主張。1945年4月にミュンヘン郊外の強制収容所で処刑されます。

warruins74_03_1717. ミュンヘンから訪れる人も多い、
有名なダッハウ強制収容所

エルザーが住んでいた家

ヒトラーを暗殺するための爆弾を密かに作っていたエルザー。彼が住んでいた家の建物があります。場所はナチス党関係の建物が並ぶシェリング通りと交差するテュルケン通り(Turken Strase)。道を挟んで建物の前の広場は、ゲオルク・エルザー広場と呼ばれています。

エルザーの住まいがあった建物18. エルザーの住まいがあった建物
エルザーの家の前の広場は、ゲオルク・エルザー広場19. エルザーの家の前の広場は、
ゲオルク・エルザー広場

ヒトラーを暗殺するための仕掛けを作っていたエルザーの家から、ヒトラーとエヴァがデートの待ち合わせをしていた交差点はすぐそこです。さらにショル兄妹がビラを巻いて捕まったミュンヘン大学は一つ通りを挟んだ向こう側にあります。

ゲオルク・エルザー広場から見た、ヒトラーとエヴァが待ち合わせしていた交差点20. ゲオルク・エルザー広場から見た、
ヒトラーとエヴァが待ち合わせしていた交差点

ヒトラーを倒すために暮らしていた人たちの痕跡と、ヒトラーのゆかりの場所の多くが徒歩圏内にあるのがミュンヘンの街なのです。

ヒトラーとエヴァがデートの待ち合わせをしていた交差点は、「ミュンヘンでヒトラーの面影を追う旅6 ~愛人エヴァ編-その1~」でも触れています。

その後のミュンヘン

第二次世界大戦の中盤以降、南ドイツにあるミュンヘンにもイギリス本土から連合軍の爆撃機が襲い掛かります。24歳の芸術家、ヒトラーが生まれて初めてやってきたドイツの街で、彼が芸術にふさわしいと称賛したミュンヘン。そこは、終戦まで他のドイツの大都市のようにいくたびもの空襲によって、瓦礫の街と化します。

廃墟となったミュンヘン
廃墟となったミュンヘン
21. 22. 廃墟となったミュンヘン

ヒトラーがナチスと出会い成長させ、ドイツを掌握するきっかけとなったミュンヘンのナチス時代の最後の姿です。ショル兄妹たちやエルザーにはミュンヘンの未来が分かっていたのかもしれません。

ヒトラーを生んだのは当時のドイツ人です。現在でも合理的な考えを持っているのがドイツ人といわれています。しかし、白バラのショル兄妹に寛大な措置をしようとしたゲシュタポや看守、ヒトラーがミュンヘン一揆で失敗して投獄されたランツベルク刑務所では、囚人だったヒトラーに感銘した看守や裁判官たちがいました。ドイツ人は合理的な考えを持ちつつも、情に流されやすい国民性があるのかもしれません。

ドイツの本屋にもヒトラー関連の本がたくさんある23.ドイツの本屋にもヒトラー関連の本がたくさんある

だからこそ、ヒトラーを選んでしまった一方、ヒトラーに抵抗しようとした人たちも生まれたのかもしれません。それが凝縮されている街がミュンヘンです。

ぜひ「ミュンヘンでヒトラーの面影を追う旅シリーズ」(「ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡」の第64回~第72回)もご覧いただき、現地へ足を運んでその空気を吸っていただければ幸いです。

【第74回】ミュンヘンでヒトラーに抵抗した市民の痕跡を巡る は、3ページ構成です。
「その1」から順に読んでいただくと、より楽しんでいただけると思います。


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【第74回】ミュンヘンでヒトラーに抵抗した市民の痕跡を巡る その3

同シリーズが「ヒトラー 野望の地図帳」として書籍化

同シリーズが書籍化され、各書店の歴史の棚の世界史やドイツ史のコーナーに置かれています。web記事とは違う語り口で執筆していて、読者の方々からは、時代背景が簡潔でわかりやすい、学者とは違うテイストが新鮮、という感想をいただいております。

歴史好きはもちろん、ちょっとマニアックなヨーロッパ旅行をしたい方々の旅のお供になる本です。

ヒトラー 野望の地図帳

ヒトラー 野望の地図帳
著者名:サカイ ヒロマル
出版社:電波社     
価格 :1,400円(税抜) 

【連載】ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡(第1回~第100回)

著者:ヒロマル

戦争遺跡ライター
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1979年神奈川県生まれ、神奈川県逗葉高校、代々木ゼミナールで1浪、立教大学経済学部卒業。

大学在学中からヨーロッパ、アジアなどを海外放浪してハマってしまい、そのまま新卒で就職せずフリーターをしながら続ける。その後、会社員生活をしながらも休み、転職の合間を利用して海外放浪を続ける。50ヶ国以上訪問。会社の休暇を利用して年に数回、渡欧して取材。

2012年からライター業を会社員との二足のわらじで開始。
2014年からwebメディア(株)フォークラスのTOPICS FAROで2つのシリーズを連載中。

▼もんちゃんねる(You Tube)
https://www.youtube.com/channel/UCN_pzlyTlo4wF7x-NuoHYRA

▼「ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/warruins
ヨーロッパ各地を取材し、第二次世界大戦に関する場所を紹介。
軍事用語などは極力省き、中学レベルの社会の知識があれば楽しめる記事にしています。
同シリーズが2017年に書籍化。
「ヒトラー 野望の地図帳」(電波社)から全国書店の世界史コーナーで発売中。

▼「受験に勝つ!世界史の勉強法」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/wh
2018年から主に世界史を中心とした文系の勉強方法について執筆。
大学受験だけでなく、大学生や社会人の大人の教養としての世界史の勉強方法にも触れて、
高校生、大学生、社会人とあらゆる世代を対象としています。

世間の文系離れを阻止して、文系の学問の復権に貢献することが、2つの連載の目的です。

▼ご依頼、ご質問はこちらのメールまたはツイッターから
hiromaru_sakai@yahoo.co.jp
https://mobile.twitter.com/HIRO_warruins